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アダム・スミスの誤算 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (078))

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アダム・スミスの誤算 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (078))

佐伯 啓思 
アダム・スミスの誤算 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (078))
定価:¥ 693
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実は右翼的だったスミスの道徳

経済は苦手なのだが、数式は皆無で全て普通の言葉で説明されるため殆ど問題なく読めた。これは本書が必ずしも経済だけを論じる本ではなく、同じくらいに道徳を哲学的に論じるものだからとも言える。アダムスミスが単純な市場原理主義者ではなく一定の道徳を重視していた事は知っている人にとっては常識的であり、誤解を解くべく改めてそれを論じた類書も多い。佐伯氏による本書もまたその一種かと思ったのだが、他の類書とはかなり違った佐伯氏らしい特徴があり新鮮であった。

前半は道徳感情や共感、第三者の目によるオーソドックスなスミスの道徳論が説明されるのだが次第にもっと著者好みの道徳がスミスの言葉から取り出され、最終的にはスミスは勇気と知恵と公共性、そして愛国心を重視した道徳家、ナショナリスト、古典主義者として把握される。このようなスミス観はスミスに対する誤解を説く類書でもあまり見られないものだった。

スミスは各所で古代ローマ的な徳にシンパシーを持っていると推察されると著者は言うが古代ローマ的な徳といえば著者やコミュニタリアンが好み依拠し、回帰を説くものに他ならない。スミスが社会契約論を批判した事とからめて確固とした個人なるものが存在しない事も批判されるが、これも著者やコミュニタリアンの常套句である。さらには共感は全く無関係の他人に向ける事は困難であるため、現実的に共感を成立させるにはその相手は同一国家の国民でなければならない、という観点から共感に基づくスミスの道徳論をナショナリズム的なものに解釈する。

これらが著者の曲解ではないかと感じる人もいそうではあるが引用文を読み限りスミスには多分にその気があったと言えそうで、著者のスミス観はなかなか説得力を持つ。男らしい徳、国土を防衛する徳、勇気、誇り、崇高さ…そしてそれらの徳群を養う戦争と死の危険の意義と偉大さ、スミスはそのような事を確かに熱っぽく説いており、戦争を「徳を養う偉大な学校」と断じているのである。

このように本書の試みは著者がスミスに右翼的なもの、保守的なもの、ナショナリスト的なものを見出し、それらの立場にスミスを取り込もうとする試みだと言えるだろう。


とても面白いです

やっと時間ができたし、気分転換も兼ねて佐伯氏の本でも久しぶりに読んでみようと本書を手に取った。私と同じコミュニタリアンで保守主義の彼の考えはほとんどわかっていたつもりなので、新しいことを学ぶというよりも自分と似たようなことを考えている人の意見を聞いて自己満足しようという軽い気持ちで読み始めたのだが、なかなか面白い論を展開していて一気に読み終えてしまった。経済方面に疎い私にとっては数ページごとに興味深い解釈が書いてあり佐伯氏の本をもっと読みたくなってしまった。もちろん著者自身が言っているように、本書で述べられていることがアダム・スミスの本心だったのか、それとも佐伯氏の願望からでた偏った解釈なのかは、他のアダム・スミス研究家が明らかにしなくてはいけないことだとは思う。しかし本書で重要なことはアダム・スミスが何を考えていたかということではなく、17世紀から18世紀にかけてイギリスに起こった金融革命・商業革命と佐伯氏が呼んでいるものが何をもたらしたのか、重商主義はなぜ非難されるべきだったのかということを明らかにしてくれたことだと思う。彼の考察はグローバリゼーションや市場至上主義の正当性を無批判に受け入れてきた90年代と、その結果国家の衰退の危機が叫ばれる2000年以降を生きている日本人に多くの示唆を与えてくれるだろう。保守主義としての佐伯氏の一貫した考えはこの本でもうまく表現されている。現代の日本が抱えている問題は封建社会から抜けきれていない遅れた日本社会(植民地根性丸出しの共産主義系サヨクや進歩的知識人の大好きなロジックだが)ではない。そうではなくて実体を伴わない富である貨幣のみに価値を置くことが問題なのである。このような貨幣第一主義という価値観は、みせかけだけのエリート(成金)を量産し、人間性も見せかけだけで判断する社会を生み出してしまう。つまりお金がすべてになる。それは道徳の退廃をもたらし、国家の衰退を引き起こす。よく考えると現代の日本はこの方向の先進国のような気がする。本来は日本でも士農工商で商人が一番下に位置していたり、藩の力がお金ではなく米の収穫量で表現されていたりと、佐伯氏の言うように実体を伴った富である「生産物」が重視されていたような気がする。このようなことを考えると、今再考するべきは反権力を謳ったり、国家の枠組みをなくしたりすることではない。西洋文化を神格化して日本文化を卑下することでもないし、海外で活躍する人を日本で地道に生きている人よりも偉いと評価することでもない。ましてや地球市民を名乗って無意味な世界平和を唱えて自己満足することでもない。日本国内の経済をどのようにたて直すのか。国のためではなく企業のためだけに動いてしまう多国籍企業や、日本をかえりみない政治家など見せかけだけのエリート層、社会全体に広がる道徳の退廃などが、なぜ生じてしまうのかということを日本人はまだ経済力が残っているうちに考えていくべきであろう。本書では二つの異なる軸が示されており、そしてその二つの軸は密接に関連しあっている。それがエリートが持たなくてはいけない「実体を伴った徳」と、経済活動で重要な「実体を伴った富」である。この二つをどのように取り戻すのかが今後の日本の課題であろう。実体を伴わない富としての貨幣による経済的繁栄を追い求めることではない。一見、経済的に不利になろうとも実体の富を伴った生産活動に主軸をおいた経済活動の発展を追い求めることによって、(貨幣の)経済的繁栄が結果的に達成される。これが佐伯氏の解釈する「見えざる手」であると思う。

古典が既に警告していたグローバル経済は必然なのか?

■インターナショナルとグローバルの違いは大きい
彼の他の著書の名を見てみると、若干偏向した志向性を持つた人の様であります。然し乍ら、冒頭から、インターナショナル経済がグローバル経済とどう違うかなどと、中々に面白い観点が提供されます。

■スミスとケインズの共通点。「国富論」の真の目的
若干の色眼鏡を掛けながら読み進んだのでありますが、この上下2巻を読む限り、説得力は十分でありました。題名から想像される様に、アダムスミス「国富論」及びケインズ「一般理論」を手掛かりに思考を巡らすのでありますが、彼が主張するのは、アダムスミスは国内経済が富む事を考え、ケインズは完全雇用を目指し、いずれも現在で言ふ処のグローバル資本主義には反対していたという事であり、アダムスミスに於いては其れが「国富論」を書く必要性の重要な部分を担つてゐたと言ふ事であります。(下卷に続く)


アダム・スミス=国内経済重視派

私は「アダム・スミス=小さな政府論者・規制撤廃論者・自由貿易主義者」と思い込んでいたのだが、著者が読み解く『国富論』からは、スミスが国内経済重視派だったことがわかる。彼が生きていた時代、自由な経済活動を与えれば、資本はまず国内に集まると考えられていたからである。土地や労働よりも商業や金融が重視され、貨幣が世界中に浮遊している現在を見たら、スミスは逆に何らかの規制を敷いて、この流れを止めようとすると推測されるのである。

また、スミスは『国富論』以前から道徳哲学者として名を知られていたのだが、著者も本書の多くの部分を割いて道徳について言及している。徳無き経済を批判的に捉えているのだが、これは単純な構造改革論者や経済グローバル化推進論者に一石を投じるものだろう。

規制を無くし、経済をグローバル化することが我々の幸福に結びつくかどうか、もう一度考え直す上での好著になると思う。


アダムスミスの誤解、そしてグローバリズム問題。

“われわれは、この二人の経済学者であり思想家であり文明評論家であった偉大な人物から多くのものを学ぶことができると思う…彼らが考えた問題状況は、程度の差はあれ、基本的に現代のグローバリズムの問題とあまり変わらない。(5頁)”と佐伯氏は言う。

 「この二人」というのは、アダムスミスとケインズの事である。そしてこの二人から著者はグローバリズム問題を考える。上巻ではアダムスミスの事を論じる。
 
 そして“経済学の父といわれているアダム・スミスの重商主義批判から、グローバル・エコノミーへの対抗という観点からみることができるだろう(23〜24頁)”と佐伯氏はアダムスミスの着目し、“市場主義の最初の擁護者はスミスであった、資本主義の最初の擁護者はスミスであった、グローバル・エコノミーの最初の提唱者はスミスであった。…だが本当にそうだろうか(28〜29頁)”と懐疑の眼差しを向ける。
 
 序章は「誤解されたアダムスミス」と題されている。“私はスミス研究者でもないし、経済学説氏の専門的研究家ではない。(29頁)”というお断りはあるものの、題から察するに、著者は「アダムスミスは誤解されているのではないか」、と思ったという事だろう。
 
 また“スミスは、彼の生きた時代に、彼と生きた政治状況、社会構造の中で回答を与えたわけである。その回答をそのまま受け止めるとすると、われわれは間違いかねない(35頁”と佐伯氏は言う。アダムスミスの回答を額面通り受けとるのではなく、時代・政治・社会の過去と現在と状況を見比べて、それに配慮した上で、アダムスミスを考えてみせようということなのだろう。
 
 私はこうした類の本はあまり読まないので、こうした示唆が世の中にどれだけ出回っているのかは私にはよく知らないのではあるが、アダムスミスは今の時代にどのような疑問を投げかけているかといった問題設定し、考えている人というのはこれといって私は聞いたことはない。となればやはり、佐伯氏独特のアダムスミス論が展開されているのが本書だという事なのかなと思った。



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