![エコール [DVD] エコール [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WIe02K21L._SL500_.jpg)
|
クチコミ情報
肯定的ないい映画ですこの作品のイメージは誤解されがちなものだと思いますが、
実際にぜひ見てみてください。とてもいい映画でした。
ラストが謎だとか、ロリだとかどうのとかいろいろ言われますが、そういうことは見る側が勝手な想像を膨らませているというだけで、
この作品の内容とは一切関係ありません。
この作品はずっと肯定的な映画だと思います。
少女たちはある学校の中でおだやかで自然にあふれた生活を送っています。
でもこの生活はじつは脱走しようとする子を罠にはめるように仕組まれていたりなど、厳しく管理され、
嘘のおだやかさというか 何かを覆い隠した静けさを持っていました。
しかし、ラストシーンで少女達は外の世界に出会います。
その中心として描かれる噴水は人工的に作られた物ですから、にぎやかな外の世界の象徴でもあると思いますし、
塀の中の池と違ってとても活発さというか、エネルギーを感じさせます。
そこで、彼女は初めて男性に出会います。
正確に言えば、ちゃんと同じ目線に立つ男性に出会う、といえます。
少女は、噴水越しでも男の子を見返すことができます。
見られるだけじゃなく、見つめ返せるようになった。
この先の彼女の置かれる状況はともかく、
このシーンでは彼女は見られるだけの少女でなく、
見つめ返すという力をもった女へ成長したということだと思います。
このシーンを見てこういう成長があるのかと思ってとても感動しました。
少女が手にする最大の力が「視線」であるということはすごく考えさせられます。
この女性の監督が、今まで考え続けてきたことの結論がこの映画にはきちんと込められています。
どうか、イメージやレッテルにまどわされずにこの映画を見てみてください。
とくにラストシーンは必見です。
天国の一歩先、地獄の一歩手前観終わって、物語のすべてがはっきりしたかというと、そうでもない。
時代設定や少女たちの出自を含め、意図的にであろう、所々謎のままな部分が残る。
深い森の中、天使とも妖精とも見まがう少女たちが、無邪気に戯れている。
男性性が皆無なその歪な世界は、空想の天国の一歩先、受肉した楽園といった趣である。
同時に、棺桶、壁、地下道、数々の規則等、病の兆候のような不穏な影が終始付きまとう。
考えてもみよ、幼い少女のみを集めて無菌状態で飼育し、外に出ようとすれば死ぬか行方不明。
これでまともな状況なわけがない。
高い壁の向こう、楽園の外側で息を殺す、壮絶な悪意を感じる。
不透明な薄皮を一枚隔てて、地獄の一歩手前に立たされているような不安感。
結末を先回りに思い描き、なぜこれほどの残酷を描く必要があるのかと、不快感すら覚えながら見続けた。
そして、それが鏡に映った自分の姿であることにふと気づき、複雑な思いにさせられる。
大人たちにとってイノセンスと向き合うというのは、結局いつも、こういったものなのだろう。
美しくもどこか後ろ向きで不可解で頼りない物語 まるで運命を表現しているような映画です。
この森の中の学校は、弱い存在である少女達をできるだけおかしな異物や危険から遠ざけて守り、大人になれるように養ってくれる楽園です。辛いこともあるけれど、どこかで歯止めがかかっている。
この映画を視聴する私達にとってもまた、美しい少女たちと女教師と使用人のみが深く美しい森の中に住み、学び、踊る、やはり楽園です。
しかしこのような場所においてもネガティブなものは存在します。
「死と乙女」という絵画を連想します。人間の中でもっとも美しい時期の、もっとも素晴らしい存在である少女、そのすぐ隣にすら死というものは存在します。
エコールの中での死とは何か。
一つは、居場所を拒絶し、外の世界に逃げ出そうとして失敗し、おぼれてしまった少女のこと。
一つは、たった一度の敗北に打ちのめされ、外の世界に逃げ出してそのまま生死も知れず行方知れず、みんなの心から消えてしまった少女のこと。
一つは、自らの役目を務めきり、無事に卒業した少女のこと。
他の少女達もまた、いずれかの道を選ぶのでしょう。
学校と外の世界は自由に行き来できません。無事に卒業したとしても、逃げたとしても、おぼれたとしても、残された少女達にしてみれば同じことのようです。
教師達にとっても、少女達が去ることで、どのみち悲しみばかりを心に積み重ねていきます。大人になっても苦しみからは逃れられない。
我慢を強いられる一方通行、理不尽なルール、不自由な世界。
本当に理不尽で不自由なのか?本当は知らないからそう思うだけではないのか?
自らの肉体すらままならず戸惑い、苦しむ少女たち。他者の死、「別れ」しか知ることができないからこそ、死をますます恐れます。それでもなお焦燥にかられて、早く外の世界へと出たがります。今いる場所は、後悔しても二度と入ることのできない楽園かも知れないのに。外の世界がどんなかも分からないのに。
この少女たちは、我々視聴者とどこか似てはいないでしょうか。我々は今の居場所と外の世界をどれだけ知っているでしょうか。ここは楽園か牢屋か?外の世界は望ましいゴールなのか?
果たして仲のよかったイリスとビアンカは再会するのでしょうか?
再会するとすれば、これほど喜ばしいことはありません。しかし私は二度と会うことのない可能性を考えています。
イリスがビアンカと同様に7年間、つまり残りの6年間を過ごすうちに、たとえ外の刺激が伝わらない学校の中でいつも生活していても変化は常にあり、やがてビアンカのことをおぼろげに忘れてしまうかも知れない。
ビアンカもまた、1年間世話を焼いただけの最下級生のことを、短くともあと6年間も覚えているのか。噴水でハンサムな男の子とたわむれ、外の世界のあらゆることが急激に彼女に流れ込んでくる生活の中で、イリスのことを忘れないとは言えない。
女教師が彼女に言ったこと、「私たちのことなんてすぐに忘れる」は真実なのでしょう。そしてお互いを覚えていられたとしても、6年もの間に何がどう変わるかは運命のみが知ることです。
花の命は短く儚いものです。その最も美しい時期に注目したこの映画は、どういう意図でつくられたとしても、賞賛に値するものだと思います。
存在する事に意味がある少女映画としては、映像が美しく楽しめるのでいいと思います。
特に人形的なもの、ロリータ的なものが好きな方なら良いのでは。
衣装がアニエスだったり、変なリボンだったり、アニメ的あるいは俗っぽくわかりやすいロリータアイコンをふんだんに使い、正直「棺」から「裸の少女」(しかしなぜかパンツ姿)が出てきたときはさすがにちょっと笑ってしまいましたが、
「うつくしいもの」に対する飢餓感がある今だからこそ実現しえた作品。
森の中の学校、制服の少女たち。規律に守られた、小さな箱のなかの生活。
リアルな少女世界というよりも、「失われた少女時代」や「少女世界への愛や幻想」、
「少女」というものに偏執的なものを抱き始める、もう少女ではない大人にはおすすめです。
しかし絵にこだわった、美しい世界。
メジャーな映画ではなかなか実現が難しい内容なので、このような作品はあるべき。
Innocence…無垢・無邪気・純真・純潔・潔白・無罪この映画は見る側のイノセンスによって評価が大きく変わる作品だ。
イノセンスを残した大人は、イリスやビアンカなどにすんなりと感情移入し、
少女たちの揺れ動く気持ちを、自身の体験と重ね合わせたりする。
裸の少女たちにも、短いスカートにも何の疑問も抱かない。
だって、「自分もそうだった」から。
幼い、しかも少女たちしか存在しない世界なのだ。そんなことは気にならない。
イノセンスを失くしてしまった人には裸の少女や短いスカートが
「あざとく狙っている」「ロリコンやペドフィリア的興味をそそる」よう見える。
中にはほんとうにペドフィリア的欲望を満足させるために見る人もいる。
カメラワークがフェティッシュだと言う人もいる。だけど、果たして本当にそうか?
「そう見える」のは自分が「そう」だからではないのか?
こんなにもこの作品の感想・評価がバラバラなのは、
きっとエコールの少女たちが視聴者の姿を映し出す鏡だからだ。
少女たちに共感を持ったなら、その人の心にはまだ少女が住んでいるのだろう。
少女たちの行動が性的に見えたなら、その人は子どもを女性扱いしているのだろう。
少女たちに欲望を抱いたなら……言うまでもない。
イノセンスの少女たちも、時が来ると否応なく外の世界へと放逐される。
外の世界で、大事に育てられてきた「イノセンス」は傷つけられ、汚されるだろう。
そしてその時、少女たちはイノセンスゆえに身を守ることも出来ないのだ。
残酷なことにイノセンスを失うことは「大人になる」という事でもある。
ラストシーン、ビアンカは下着姿で少年と戯れていた。
ビアンカは足を褒められた一件で、自らが女性であることに気づきかけている。
私にはビアンカの輝くような笑顔が、イノセンス最後のきらめきに見えた。
|