![ニュールンベルグ裁判 [DVD] ニュールンベルグ裁判 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51lckn8jLrL._SL500_.jpg)
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クチコミ情報
あと一歩で完璧人類に様々な問いを投げかけた戦後処理最大の山場であるニュールンベルグ裁判の断片をフィクションを交えて描いた作品であると伝えられています。その意味においてはなかなかの出来。ドキュメンタリータッチでの緊迫したやり取りに固唾を呑みます。
これ以上ないほどの演技陣。スペンサー・トレーシー(いつもながらの演技していないような演技)、バート・ランカスター(いつもながらのストイックな緊迫感)、リチャード・ウィドマーク(いつもながらのバッドボーイ的存在感)に加え、ジュディ・ガーランドやモンティ・クリフト、さらにはマレーネ・ディートリッヒらを脇役として使ってしまうほどの厚みを堪能できます。しかし、やはり特筆すべきはドイツ人被告らの弁護人として熱弁をふるうマクシミリアン・シェルで、その熱演によって事実上映画が引っ張られているといっても過言ではありません。
しかしながら、完璧な作品としてはあと一歩。無論、ドキュメンタリータッチの映画作りを志したスタンリー・クレーマー監督の意図は十分に伝わってくるものの、映画としての“雰囲気”に乏しいのが残念です。例えば、トレーシー扮する判事が敗戦国としてのドイツをもっとよく知ろうとして街を徘徊するシーン(満員バスに乗せてもらったり、ソーセージを買ったり、ナチスの廃墟の前を歩いたり)は映画的雰囲気を漂わせていて素晴らしいものがあるのですが、法廷のシーンになると演出がいささか機械的(被告人や証言者のとらえかたが極めて単調)になってしまっています。
無論、これはメッセージ映画であり、ドキュメンタリータッチにならざるを得ないのは枝葉のごときことなのです。しかし、これはあくまでも映画であり、作品でもあるので、アートとしての面白さがほしいところ。それでも重量級の名優たちの存在感が堪能でき、人が人を国家が国家を裁くことの難しさを考えさせてくれることのできる映画などそうざらにはありませんので、やはり人類必見の作品であることはたしか。
見応えの有る演技合戦 法廷物の為か古さも感じず、実に面白く観れました。
初の老け役を重厚に演じるランカスター、老いてなお美しいマレーネ・ディートリッヒ、眼光鋭い連合軍側の検察官を演じるリチャード・ウィドマーク、新進気鋭の弁護士振りが見事なマクシミリアン・シェル、辛い経験から人間の残骸の様になったモンゴメリー・クリフトとジュディ・ガーランド、そして噂通りに演技が実に自然なスペンサー・トレイシー、どの役者も素晴らしかったです。
あと、ランカスター以外の被告を演じていた俳優達の狡猾ながら凡庸で弱々しい雰囲気もやや紋切り型ながら見事でした。
しかし、お国柄か一億総懺悔の日本に比べてドイツ側の同胞をあらゆる手段を講じて守ろうとする姿勢には皮肉ではなく感心しました。
戦勝国が敗戦国を裁く行為、特に当時の政権下では適法な行為を行った者を裁く事が持つ不条理さ、困難さには考えさせられました。
白黒画面ですが、リマスタリングがしっかりしているので画面も美しく、3時間弱の長尺も気になりません。
誠実に創り込まれた法廷映画 判事、検事、被告人、弁護人、証人のそれぞれ
が、懸命に法廷で自らが為すべきことを為す姿が
丹念に描かれている。それ故だと思うが、勝者が
敗者を「裁く」政治セレモニーの是非・当否につ
いて、裁判の最終段階で被告弁護人のドイツ人弁
護士が鋭く衝き、また、それに対してアメリカ人
裁判長が誠実に自分の所見を返す場が、取って付
けたように浮き上がることなく、自然な展開の中
で現れでてくるのだろう。
違う法廷では(たぶん同様の罪状で告発された)
被告達に無罪や軽罪の判決が下され、ドイツ大衆
の歓心を買ったこと。
本作制作時の1960年(昭和35年)段階で、一人
の服役者も残っていないこと。つまり、この法廷
で終身刑を宣告された4被告が自由の身になって
いること。
何気ないセリフの端々やエンディングキャプ
ョンで淡々とこうした重要な事実が語られる。裁
判は法廷の中での手続きが終わった後、法廷の外
の諸々に結末が委ねられるのだということが、か
えって冷然と伝わる。
ほぼ全編が英語であるため、ストーリー展開の
上で流れがスムーズにいき過ぎているのは、制作
上致し方なかったことなのだろう。実際の裁判の
場ではあったはずの意思疎通のトラブルや通訳が
入るためのタイムギャップは捨象されている。
今の映画人達なら、国際裁判のこうしたもどか
しいところをどのように扱うであろうか。
様々な問いかけ この映画は、ナチス・ドイツの下で法務大臣を務めたり裁判官を務めていた人たちが戦争犯罪を問われた裁判をテーマにしたものである。この映画を見終えた直後には、色々なことを考えて混乱した。
勝者が敗者を裁いた政治的な裁判であるとか、事後法・遡及処罰の禁止の原則に抵触した不公正な裁判であるなどという理屈はひとまず置く。国が熱狂的に全体主義化・民族主義化しつつある当時のドイツの状況下で、一人の裁判官にすぎない彼らに求められることはなんだったのだろうか。彼らがいてもいなくても、ドイツでは同じことが起きたのではないか。それとも彼らがいたから忌まわしい戦争犯罪が起きたのか。
自分の属する組織が犯罪を犯すとき、自分が犯罪とかかわりたくなければ組織を離れるしかない。それと同じように、国家が犯罪的な行為を行っているときには自分が生まれた国を離れることが求められるのだろうか。人はある組織に属するか否かを自己の意思で選ぶことができる。しかし、自分が生まれる国を選ぶことはできない。国が全体主義化して自己の良心を発揮できる環境でなくなっていることも考慮しなければならない。そのような国で生き残っていくために仮面をかぶることは、同じ状況に置かれれば多くの人がすることではないのか。
3時間に及ぶこの映画は実に見事なキャストにとって作られているばかりでなく、考え抜かれたストーリーや素晴らしい演技によって、観る者に様々な感想を抱かせる。非常に優れた作品だと思う。
ハリウッドから見た「戦争犯罪裁判」。骨太です。今や英語以外での会話が当たり前になったハリウッドだが、当時はどこの話であろうと、会話は英語だった。本作も最初はドイツ語が話されるが、いつの間にか全編英語に変わっていて・・・(笑)。ニュールンベルグ裁判は東京裁判と違い、ヒトラーやゲッペルスが不在(自殺)の中行われたこと、断種法と大量殺りくの是非が問われたことが特徴だ。またナチス時代の裁判さながらに、戦勝国の裁判官しかいない、というトンデモ裁判としても知られる。確かにナチスの蛮行は100%非難されるべき行為だが、ヒトラーの部下たちに明確な責任を負わせられるのか?ユダヤ人など600万人を殺害したと語られているが、今日では100万人とも200万人とも言われる。途中挿入される虐殺のフィルムは、ドキュメントを観ているようで胸が痛くなるのだが、これに自発的に参加したかどうかで罪を決める。東京裁判もこのあたりは同じ論法だったが、みなどこかに矛盾を感じているのを描きだした点は評価できる。俳優は超豪華で、特にR・ウィドマークのカッコ良さは最高だ。J・ガーランドは老けた感じがしたが、あの短い出演でオスカー候補なのだから、流石だ。あくまでハリウッドから見たニュールンベルグであり、賛否両論ある作り方ではあるが、UAらしい骨太さに星4つ。
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