

|
クチコミ情報
いまもなお昭和31年に出版され、ベストセラーになった作品だが、現在でも十分に通用するものであると思う。構成に奇抜さはないが、長編のわりにはあきずに読むことができた。
ここではないどこかへ某ブックガイドで酷くけなされていたので、逆に読んでみたくなって読んだ、というひねくれた出会い方をした本です。しかし、そのブックガイドが言う程酷いとは思わなかったし、むしろ、当時の日本人がこの小説の何に憧れたのか、考えながら読むと面白い本だと思います。主人公の怜子を素敵と感じた多くの女性読者は、彼女の奔放さや恋愛への積極性に憧れたのでしょうか?私は違うと思います。怜子の縁故関係はほぼ、自分の家族だけに限られ、煩い親戚やら隣近所のお節介な人達といった、従来の通俗小説の人間関係の枠組みから自由です。こんな設定でも当時の読者に受け入れられた最大の要因は、物語の舞台が北海道だったからではないでしょうか?実際、北海道は人間関係のしがらみが少ない土地柄なので、作者も自然に書いているし、嘘臭くありません。この小説に熱中したあの頃の若い女性達は、そんな人間関係に憧れたように感じられます。それが釧路という土地そのものへの憧れを醸成し、挽歌ブーム=釧路観光ブームを作り上げたのでしょう。それだけ当時の女性達にとって、日本社会は息苦しかったと思います。そして、憧れの土地が海外に変化しただけで、この憧れは現在も存在し続けているのです。
表紙まですべて好き!そうですね、日本のフランソワーズサガンですね、同感です。書かれた時代背景もちょうど同じ頃でしょうか?主人公の小悪魔的美少女怜子(多分そう想像させられる)が、昭和31年当時流行し、今だにその新鮮さを失わないというのは、やはり作家の天才的な表現手腕によるものでしょうか?サガンの新潮文庫本も表紙がベルナールビュッフェでとてもクールで、中学生の頃、書店で見つけ、読みあさりました。晩歌の表紙も宇野亜喜良さんで、やはりこの人のイラストのファンでした。なんて美味い小説なんだろう、なんて素敵なんだろうと感じ入ってしまいます。昔読んだ時は、表紙のイラストは違っていたような記憶がありますが、宇野さんのイラストでますます良いと思ってしまいました。大好きな一冊ですね。
いわば日本のサガン主人公の怜子は、どこか孤独で突っ張った感じの少女。彼女と中年男性桂木との不倫を軸に物語は展開する。はじめて読んだとき、何か日本のサガンみたいだと思った。大人の世界に憧れ、自分を取り巻く退屈な現実から脱皮しようとしている少女の、内面的なあがきみたいなものが感じ取れる。発売当時は一世を風靡したベストセラーだったようだが、分かるような気がする。
けっこう読める 有名な本なので一度読んでみたいと思っていた。ママン(母)、ハズ(夫)、アミ(愛人)、コキュ(寝取られ亭主)などあまり使われない外来語がふんだんに出て、内容も戦後の時代を反映したものである。 登場人物は戦争経験があり、仕事に没頭しているが虚無的な桂木。冷静できれいでやさしくつつましやかだが、医学生と不倫をしている桂木夫人。芸大を狙い何年も留年していて怜子が好きだが言い出せない誠実過ぎる幹夫。そして身体は弱いが奔放に生きる怜子である。物語は桂木夫人の不倫と怜子の桂木氏との不倫を軸に進展するが、桂木夫人の不倫は世間をはばかり、夫に罪の意識を抱えたままつつましく行われるが、夫はそれを知りながらとがめだてできない気持ちの桎梏がある。それを奔放な怜子があからさまにする……。 しかしながら、怜子に悪気はないのである。自分の愛に純粋なだけなのである。それはあたかも新しい時代の人間が古い戦後を引きずった世代を凌駕する「時の必然」のようであった。 同人誌に掲載された小説が昭和31年に単行本化されあっというまに70万部売れた大ベストセラーになったのは、単なる不倫小説でなくそのような時代背景があったように思う。
|