![遠雷 [DVD] 遠雷 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Tr1VcNyEL._SL500_.jpg)
|
クチコミ情報
若者と田舎の閉塞感との狭間で巨匠・根岸吉太郎が日活ロマンポルノから劇場一般映画へと転向した第1作。主演は「サード」の永島敏行で、共演は石田えり、ジョニー大倉、ケーシー高峰など。1981年上演。
宇都宮市役所に勤務していた立松和平による原作ですが、トマト栽培に力を入れる若者(永島)とその周辺の人間模様をリアルに描いています。見合いで知り合った若い女性(石田)とその日のうちにモーテルに直行してしまうような「現代性」を持ちながらも、愚直なまでにトマト栽培に命を賭ける純朴さ。一方、宇都宮という都会でもなく、また完全に田舎でもない微妙な立ち位置の土地柄で、集団団地や東京で働く兄などの「都会化の象徴」と、場末のスナック、地元の選挙、村を上げて夜通し行われる結婚式などに象徴される「土着的なもの」との狭間で揺れる若者の姿が印象的です。
主婦と駆け落ちしたうえで相手を殺害してしまった親友(ジョニー大倉)と永島とのやり取りで印象的だったのが、「俺だってタイミングによっては人を殺したかもしれないんだな」という台詞です。ほとばしるエネルギーを郊外特有の閉塞感の中でもてあまし、それが何かのきっかけで危ない方向へと転びかねない若者特有の危うさがこの台詞に集約されているからです。誰もが経験する将来に対する漠然とした不安感、周囲や環境に対するえもいわれぬ苛立ち、もてあますほどのポテンシャル…。リアルタイムで観たときは当事者としてはあまり感じませんでしたが、改めてみると痛いほどよく理解できます。
純朴なようでいて結構大胆で現代的な娘を演じる石田えりの瑞々しい演技は、いま見てもとても印象的です。
どんくさいが真実の姿トマトのハウス栽培をしている栃木の若者を中心とした物語である。青春映画と呼ぶには、どんくさく、爽やかさの感じられない映画であるが、それが高いリアリズムを感じさせる。日本映画のラブシーンの多くは、女優に照れがあるのか妙にキレイに撮りたがる難があるが、この映画にはそれがない。若き日の石田えりも、その裸体は美しいが、この映画ではどんくさい田舎の女を好演し、彼女と永島敏行のラブシーンにも若者らしい不器用さがよく出ている。永島敏行はまさに「はまり役」で、彼を取り巻く他のキャストも、ケーシー高峰をはじめ、本当に栃木に住んでいるかのような錯覚を覚える。
親子関係、家族関係、友人関係、どれをとっても何一つ「理想的」な姿は見出せないが、それが現実というものだろう。これは立松和平の原作の素晴らしさによるものなのだろうが、映画もその神髄から離れていないのは立派である。欲を言えば、全編に流れる音楽が邪魔になることくらいだろうか。暗くなりがちないくつかのサブプロットの中を、たくましく生き抜いている若者の姿は、決して「美しく」はないかもしれない。しかし、そこには間違いなく真実の姿があるのだと思う。
夏の終わり、青春の終わり70年代終わりから80年代初め頃、こうしたATG映画はテレビの深夜放送でたくさん観た。ちょっと理屈っぽかったり気取ってたり陰鬱だったり、でも妙に生々しく切ないそれらの作品は日本でしか生まれえない独特の匂いや感覚があって大好きだった。 中でも『遠雷』は忘れがたい映画で、その後地方都市の小さな映画館のATG青春映画特集で再び観た。やはり切なくなった。 最後、明け方のベランダで「青い鳥」を歌うシーンが好きだ。 こういう作品って暗いと敬遠されがちだけど、日本人にしか描けない叙情性や重みがこの頃の低予算映画にはあったと思う。忘れないでほしい。
good moviethis is a good movie.the lively act.especialy eri ishida is good,
栃木の「魅力」満載の逸品「サード」で永島さんを初めて見て、あまりの「新鮮さ」に
衝撃を受けたのが今でも忘れられません。
そして、初期の永島さんの出世作が「遠雷」ではないでしょうか。
原作と俳優のイメージが怖いくらいぴったりです。
「とかいなか」といわれる栃木の味と、近郊農家のせつなさ。
いろんな相乗効果で青春映画の金字塔ができました。
|