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クチコミ情報
絶望の果てに響く乾いた笑い声ローマで個人教授をしているフランツ・ヨーゼフ・ムーラウは、両親と兄の事故死により、故郷ヴォルフスエックの財産の相続人となります。家族と故郷を忌み嫌っているフランツは、憎しみを心に抱えながらも帰郷します。彼の幼年時代は幸福で満たされていましたが、「子供時代(の幸福な記憶)は無尽蔵だと思いこんで、何十年にもわたって浪費しつづけ、ついに完全に使い果たしてしまった」ため、彼の心の中にはもはや故郷に対する憎悪しか残されていません。労働と富に汚染された故郷を目の当たりにしたフランツの心の中で、憎悪が絶望へと変わり、財産を全て処分して故郷と自らの過去を消去しようとします。しかし、ヴォルフスエックに感染しているフランツは、「消去」を遂げることができるのでしょうか。
延々と続くフランツの独白、反復される前言、突如の教え子への呼び掛け(と、私はガンベッティに言った)。苦渋に満ちたページを繰る読者の手が止まらないのは、こういった技法に加えて、何処かからか聞こえて来る乾いた笑い声によるものです。絶望の縁にありながらはっきりと聞こえてくるこの笑い声を、何と表現することが適切なのでしょうか。冷笑? 嘲笑? 哄笑? それとも「諦笑」とでも呼びましょうか。
この作品が人々の内に引き起こす反応には、様々なものがあるのでしょう。嫌悪、憎悪、恐怖、感嘆、或いは無関心もあるかもしれません。しかし、この作品がその内容、作家の技術において重要なものであることは疑いの余地がありません。
アゴタ・クリストフは『文盲』のなかで、ベルンハルトの『諾』(ヤー)、『コンクリート』、『声色使い』、『樵』(きこり)といった作品名を挙げていますが、邦訳がないものについては、是非刊行を期待したいところです。
失意最初から最後まで改行無しで延々と語られる、家族との確執。 改行無しの効果か、ずるずると主人公の語り口に引き込まれる不思議な小説。他人の内部をどこまでも猜疑心で見、自己嫌悪や優越感に浸る主人公。何時しか自己投影してしまう面白さです。
静かな不思議な小説何も考えずただ働くだけの両親や兄妹を軽蔑し、哲学的に生きるゲオルグ叔父にあこがれる主人公。まったく改行のない文章は読みにくいが、それでもずるずると読み進めてしまう不思議な魅力のある小説。精神的人間は、無為に過ごす時もっとも活動的なのだとか、哲学的なものはいつも私たちが吸い込む空気のようなもので、長い間保持することはできないといった記述は奥が深い。
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