いま研究することの厳しさと意義
様々な分野で活躍している11人の研究者たちによる、自身のインタビュー時における問題意識、これからの研究のあり方(特に全員に共通しているのは、「9・11事件」以後の新たな問題意識の発生)、研究者をめざす若者たちへのアドバイス(苦言?)をまとめた本。常に批判的精神をもって現実の問題に介入しようとする姿勢はとても刺激的である。
基本的にこの11人が――明示的にせよ暗黙にせよ――共通して言っているのは、「これから研究者をめざす人は厳しいよ。就職も難しいよ。あなたがたの勉強量(読書量)はまだまだ全然足りませんよ。それでもやっぱり研究職をめざして頑張ってほしい」ということ。既存の知のシステムがボロボロと崩れ始めている時代において、研究をすることの厳しさと意義の大きさの両方を各自が熱く語っている。
「ケンカ屋」の原点
金子勝は大したものだ!本書を読んで、評論家としての能力が非常に優れていることとその「原点」を再確認した。討論でのケンカも滅法強いし。経済学者としては凡庸であるという意見もあるが、マスコミのフィールドで「ケンカ屋」として活躍していることもこの本を読んで十分納得できた。あと、藤原帰一、吉見俊哉、臼杵陽らのコメントは興味深かった。岡真理も、あいかわらずの疑問点は山ほどあれど、まあ独自なことを言っている。が、小森陽一や高橋哲哉(その他「良心的知識人」の方々)は、相変わらず「?」なことを言っていた。「歴史認識論争」の時点では有効だったかに見える小森や高橋の言い分が、現在の状況においてすっかり古びてしまったようだ。
時代は変わった。小森氏や高橋氏は、現状が㡊??はや加藤典洋や「シンドラーのリスト」を文化論的に叩いて知的優位を誇っていた時代でないことを自覚すべきだ。タコツボ的で対価効率性の低いサヨ運動に己の存在意義を見出すのも個人の自由かも知れないけど、それが果たして小森氏や高橋氏のような人がやるべき仕事なのかな、って疑問もやはりぬぐいきれない。もちろん、二人ともそんなこと十分わかってて敢えてやってることなんだろうけど。
でも、せっかく運動やるんだから効率性とか質的な価値とか、経済的に多く求めてもいいんじゃないかな?(これは戦前のプロ文論争でいやっていうほど出てきた話題)
だから私は言いたい。小森氏や高橋氏こそ、金子勝の「ケンカ屋」としての技術に学ばなくてはならないのだ、と。
大学生、大学院生にお薦め!!
この本は、タイトルの「研究する意味」とは?という問いに容易に答えを与えてくれるような本ではない。小森陽一氏しか著者として載っていないが、金子勝氏や高橋哲哉氏、竹村和子氏、岡真理氏、吉見俊哉氏など岩波書店の「知のフロンティア」シリーズの著者を中心に全部で11人の研究者の研究者への道のりやその姿勢が本書では語られている。それぞれ研究内容は異なるが、各研究者が口を揃えて言うことがある。それは
1.古典を沢山読め(基礎をしっかり学べ)
2.(各文献を)批判的に捉えろ
3.時代の先を見よ
4.研究は楽しくあれ
といったことである。
当たり前といったら当たり前であり「学問に王道はなし」という言葉をこの本はただ述べているだけである。ここで問題なのは、著者達の!言葉をどう捉えるかであろう。1~4を守ることが研究者の近道であると、著者達は述べているとは私は思わない。少なくとも2を守るということは、同時に著者達にも批判的である必要がある。ならばどうすべきか。私はニーチェのように超克(突き抜けようとする意志)であると思う。要は一人で頼ることなく頑張っていく意志でありそこにこの本のタイトルの意味があるのではないか。
どの研究者も大学時代や大学院時代には悩んだことが多々あったみたいなので現在進路で悩んでいる人にはお薦めです。
「学会のアルカイダ」の研究への姿勢、そして文系の底力とは?
「経済学会のアルカイダ」などのキャッチネームと共に、
テレビへの出演や著作活動などで露出度急上昇の金子氏。
しかし、氏の研究に対する姿勢はあまり知られていない。
「歯に衣着せぬ」研究者の研究への姿勢とゼミ生へかける言葉...本書からは、彼を囲んだ(?)鼎談からその姿勢や、
他の何人もの社会科学・人文科学分野における著名な研究者の研究に
対する姿勢を見ることが出来る。
こうしたところから、「よのなか」を考える知恵を借りることは、
有益なことであるはずだ。
なぜなら、研究者の姿勢だけではなく、ちょっとした方法論やその分野を取り組む状況までも見ることが出来るのだから。
そしてまたそうした姿勢から、
理系に対する期待が大きい世の中で生きる文系の底力、
もしくは「文系も負けるな」というメッセージが聞こえてくるような気がした。
T.T