![隠し剣 鬼の爪 [DVD] 隠し剣 鬼の爪 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21dExjTsdvL._SL500_.jpg)
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クチコミ情報
三部作の中で一番良い 山田洋次監督、藤沢周平3部作の第2作目。3つの作品で一番好きな作品。
永瀬正敏さんの演技がとても良い。「きえは俺の刀さかけても守る!」と怒気を含んだ声で言い切るシーンが隠れた見所かもしれない。
やりきれなさをいっぱいに感じた後は、爽快な後味を残してくれます。
シナリオが素晴らしい。永瀬が絶品。タイトルは、鬼の爪であるが、短編「雪あかり」が入っている。
藤沢作品で私の五指に入る作品である。
芸達者揃いで安心してみていられた。
それにしても、永瀬の演技が素晴らしい。
濱マイクも見ているが、これほどうまいとは思わなかった。
後は、やはり殺陣が素晴らしかった。
武士社会、修行仲間、家族、愛する人、秘技、
生き方と己の哲学、抱える物が「たそがれ」より、
少し多く、そして「秘技」がある分、影があると思う。
どちらが好きと聞かれても困る。どちらも見るべきである。
個人的には、松たか子より宮沢りえが好みです。
永瀬の地毛の髷に感服です。
三部作だが「武士の一文」のレビューで、よく引き合いに出されていたので、
遅ればせながら拝見させて頂きました。
これで三部作すべてを見たんだけど、重複して出演してる役者さんが多いんですよね。
チーム山田って感じ。
そのチーム山田が、「寅さんシリーズ」撮ってたというのを最近知りました。(汗)
武士三部作にも見られる、ほのぼのとした笑いは、そこから来てたのかと納得。
さて、
今回の主役、永瀬正敏さんですけど、
これ見るまではどうも印象が薄かったんですよ。
小泉今日子さんの元旦那という認識あるだけで、
演技見るのは今作が初めてだったんですが…
良い役者じゃん?!
なんでもっとメジャーな作品に出ないのか(より好みしてるのか?)
不思議に思ったくらいです。
そしてヒロイン役の、松たか子さんにしても
この作品を観るまで、演技でさえ気にも留めた事は無かったんですが…
着物も似合うし、とにかく笑顔が可愛かった!
こんな女性にだったら、世の男達は喜んで命を張るだろ!
という演技を魅せてくれてます。
個人的には、三部作の中で一番好き。
解り易い時代劇です。
気になってる方は是非!
個人的に満足世間的には「たそがれ清兵衛」の方が評価が高いのでしょうね
僕もたそがれの方が好きなんですけど これはこれで中々良いです
最後に永瀬正敏が鬼の爪でさっとやるシーンも凄く良い
個人的にすごく満足できた映画です
其の後200年が過ぎて、例の「倫理規範体系」は如何為ったのか。「其の後」と言うのは、17世紀前半を
舞台にした、仲代達也主演の『切腹』で
あり、其の時代の「武士道」が、
200年以上過ぎた、1860年代初めには
どうなったのか、と言う意味である。
本作の舞台は、山田洋次が監督した
前作の時代劇『たそがれ精兵衛』と
同様、幕末の東北である。
さて、『切腹』では、仲代に
「人を斬った事の無い剣術等、
所詮は、畳の上の水練」と
哂われた、太平の世の剣術だが、
本作の主人公の永瀬は、
「手入れをする時以外には、
刀を抜いた事も無い」との事である。
トクガワ・サムライ・ガバンメントが
近世日本に齎した250年間の平和は
結局の所、「鳩時計を
生み出しただけだった」。
時代は、既に1861年、アメリカ市民戦争が
始まっていて、初期タイプのガトリング・ガンが
実戦運用されている。
主人公の永瀬を始めとする
数十石の禄高の下級武士達は
「藩命」により、西洋式の
「軍事操練」の訓練を受けている。
「砲術」に始まり、西洋式の
「行進」、更に「ナンバ歩き」や
「ナンバ走り」を矯正して、
西洋式の走法を身に付けるのに
豪い苦労をしている有様。
更に、永瀬達にとって、重要な問題は
「社会共同体」内部での、
自分の立場であり、士農工商の
身分制度の手前、主人公永瀬は
互いに想いを寄せる、松たか子
と、「自由恋愛」も「自由結婚」も
出来ない。前作『精兵衛』が、
経済的事情で、禄高の低い下級武士の
真田広之が、百石程度の武家の娘である
宮沢りえと、最後の最後まで、
結ばれなかったのと、比べると、
永瀬の方は、まだ、経済的な余裕も有るし、
身分を言うならば、武士の娘ではなく、
農民の娘の松たか子にとって、
貧乏暮らし自体は、別段、如何と言う事も無い。
では、一体何が、問題なのか。事は非常に単純であり、
単なる「共同体論」的問題に過ぎない。
コミュニティの中での自分達の
ポジションが、他の共同体構成員に
認められるか如何か、と言う様な、
近代ならば、殆ど問題に為る事の無い
「身分を超えた恋愛」が、「一寸した
泣かせる話」に為って居ると言う
其れだけの事。要するに「世間様の目」
って奴を気にし過ぎているだけなのだが、
そう言う「前近代性」に、まだ
ノスタルジーを感じている日本人が
多いらしい。『精兵衛』が、『国家の品格』
の路線だとすると、此方は『バカの壁』の
路線か。
「剣の決闘」のシーンは、長くなるので
このレヴューでは割愛するが、タイトルにある
「鬼の爪」は、戦国時代に実戦で用いられる様な
代物では、丸で無かった。
此れは、言うなれば「特殊な暗器」に
拠る、非常に洗練された暗殺法であり、
刃渡り数センチ程度のナイフと
同じく、「近接戦」でなければ、
用を為さない。此れで、主人公の永瀬が、
家老の緒方拳を一撃で倒すのだが、
若しも、実戦でこの位の小刀を
使うのならば、鎧甲冑の隙間を
衝いている暇など無いので、
普通は、頚動脈を切る。敵が馬上に
居る等、間合いが遠すぎる場合は
別だが、近接格闘戦ならば、
敵が鎧を着ていても、首の周りは
隙だらけなので、頚動脈を狙うのは
必定である。しかし、この映画では
戦闘の「場所が場所」である。城内の廊下で
緒方拳の頚動脈を切ったら、
辺り一面血の海になるし、
永瀬本人は確実に返り血を
浴びるだろう。其処で、「鬼の爪」の
出番である。幸い、太平の世が続いた
自分の藩内の城中なので、
緒方拳は甲冑などは付けては居ないし、
油断し捲くりであり、永瀬との
距離にして、数十センチの所まで
近づいて来てくれる。永瀬は、羽織袴だけの
緒方拳の心臓を、ピンポイントで
衝くのだが、「鬼の爪」の
構造上の特殊性と、永瀬の「衝き」の
訓練の賜物で、緒方拳の胸には
出血らしい出血が、殆ど無いまま、即死に
至らしめる。
此処で描かれているのは「暴力の洗練」である。
「社会的な場」を超えた所で
実行される、純然たる「力」が、
如何なる精錬加工も施されては居ない
「純粋なる『原』暴力」であるのに
対して、或る「文化的なコード・システム」に
支配された「社会的構造体内部」では、
其の「記号体系」に基づいて
ソフィスティケイトされた
「記号的暴力」を実行しなければ
為らない。関が原以前の戦国時代から
比べれば、江戸末期日本の社会自体の
成熟とも考えられるし、観客の中には、
「此れでは、藤枝梅安と
同じ。」と受け取る者も居るだろう。
しかし、この映画の時代は
『仕掛人梅安』よりも、更に
後なのだから、19世紀後半の
「文化的な場で行われる『戦闘』」と
言うものが、この位洗練されているのも、
当然かも知れない。
何れにしろ、映画前半場面で
「時代状況」を田中邦衛に語る
永瀬の台詞の中に
「源平以来、700年に
亘り、刀と槍、弓矢しか使わない
戦闘を、ずっと続けて来た」
と言う言葉が、有るとおり、
カノン砲や、ライフル銃、
そして最初期の重機関銃も
実用化されている1860年代の
戦争が、片方に有り、もう
片方に、西洋諸国が既に実際に戦っている
「生の戦争」とは異なる、鎖国社会日本の
極めて特殊な状況下で戦われる
「文化的洗練を受けた江戸末期の『戦闘』」が
有ると言う「二重写し」の
「幕末期日本」を描いた映画だが、
もう一つ、「剣での果し合い」と言う
17世紀初頭の戦闘形式まで、
絡んで来るので「三重に錯綜した
1860年代近世日本の『戦争の絵姿』」が
描かれているとも言える。
そして、最も重要な事は、この
「トリプル・シゾフレニック」な
戦闘を、主人公の永瀬、詰まり、
「一人の人間」が、3つの次元で
重層的に「戦う」と言う事である。
恋愛や人間関係は、「前近代的」で
単純極まりないし、山田洋次と言う人は
「悪人を描く事が、殆ど出来ない」らしいので、
兎に角「時代状況と『戦闘』」の
部分が、「錯綜的」と言えるほど
複雑な描き方・・何しろ、700年分を
圧縮して描こうとしているので
当たり前なのだが・・其れが、滅茶苦茶な
「複雑さ」を提示しているのに対して、
人間関係を中心としたドラマトゥルギー部分は、
すっげーシンプルなのである。
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