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クチコミ情報
解説と本文は別物小学校に上がる前に父の本棚から盗み見たのがこの本との出会いでした。
勿論その頃は文字など読めず、モノクロ写真を幾度と無く眺め、脳裏に焼き付かせました。
GHQが解散して4年後の全ての価値観がひっくり返って、朝鮮戦争で経済が上向いた1956年に日本で出版された本です。
今初めて文章を読んでみて驚くことは解説の文書が余りに品のないことです。
そして誰が文責を持つのかも判りません。
根拠が当然あるのでしょうが感情が先走り説得力に欠けます。
それに対してフランクルの本文は己の目に自信をもち、収容所での生活を描いていきます。
厳しい監視の目を盗み、紙片に小さな字で記録したそうです。
心理分析に絶対の自信を持つのはフランクルがフロイトから直接学んだ心理学者だったからでしょうか。
フランクは30代後半から40歳まで収容所に生きたようです。
その時一緒に収容された両親と子供、そして収容二日目に24歳の誕生日を迎えた妻とは再会することなく終戦を迎えます。
本書は強制収容所という環境下での精神分析を根底に置いた生きる記録です。
ホロコーストやナチズムは悪だと言うレベルで読む本ではありませんでした。
これらを考えると、解説を省いて本文を新訳した後発の本の方が、著者の意に適って居るのかもしれません。
但し本書はその時代背景を知った上でも、重要な出版物には代わりありません。
「アイヒマン調書」の後に本書を読み、ユダヤ人について少し勉強しようという思いに至った本となりました。
学びの示唆に富んでいる強制収容所の真実性云々はどうでも良い。
この点で、出版社が旧版にあったアウシュビッツの解説ページを省いたのは慧眼だと思います。最高の決断です。
ナチスが悪い、強制収容所が悲惨だった、というのは本書のテーマではないでしょう。
とある状況下に投げこまれた人間は、いかに生きるのか?
希望の持つ残酷性(解放の日を夢見た患者は、ついにその日に力つきて亡くなってしまう)
偶然の力を前にしたときの意思決定の無意味性(車に乗り遅れたために命が助かった)
不正が人に与える復讐心の強さと深さ
病に苦しみ抜くことで病から快癒した人 等等
私たちの全てが抱える課題に満ちており、
全編が示唆に富んだ傑作です。
「人生から何をわれわれはまだ期待できるのかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれに期待しているのかが問題なのである。
そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければいけないのである」
全員が読むべき本。極限状態に置かれたら、人は何を思い考えどんな行動をとるか。
その回答が本書にある。
あまりにも有名な本なので、今更内容の解説をするまでもないだろう。
読者はただ先入観なしで手にとって欲しい。
そこには目を背けてはならない歴史が冷静な筆致で刻まれている。
全員が読むべき本。そして決して繰り返してはいけない。
「ガスかまど」とは何か???−−私が「ガス室」の実在を疑ふ理由の一端 皆さんは、「ホロコースト」の内容が、実は、戦後、二転三転して居る事を御存知だろうか?実例を挙げよう。ドイツ本国に在ったダッハウ収容所に関して、今日、「通説」は、「ガス室」による処刑は行はれて居なかったとする見解を採って居る。しかし、戦後間も無い時期には、この収容所でも、「ガス室」による大量殺人が行はれて居たと、「通説」側は、述べて居たのである。では、何故、今日、「通説」側の歴史家たちは、そのダッハウ収容所での「ガス室処刑」を否定する様に成ってしまったのだろうか?−−これは、おかしいのである。−−もし、かつては、ダッハウでも行なはれて居たとされて居た「ガス室殺人」に関する「目撃証言」が信用に値する物であったのなら、こんな変更は不要であった筈である。ところが、彼らが、その「ダッハウでのガス室処刑」を否定してしまった理由は一つしか考えられない。ダッハウでの「ガス室殺人」の「目撃証言」がウソだったからである。(違ふだろうか?)
もう一つ、本書に出て来る「ガスかまど」と言ふ言葉に注目して欲しい。何故、「ガス室」ではなく、「ガスかまど」なのだろうか?それはこうである。かつて、「通説」側は、アウシュヴィッツでは、ユダヤ人が火で焼き殺されたと言って居た時期が有ったのである。だから、この本には、その痕跡である「ガスかまど」と言ふ言葉が残って居るのである。他にも、この旧版の資料には、「ホロコースト」の内容が二転三転した痕が見て取れる。だから、「これはまずい」と思った関係者が、この本を新版に改定したのではないだろうか?
(西岡昌紀・内科医/パレスチナの土地の日に)
どのようにしてアウシュヴィッツを生き残ることができたのか?強制収容所を生き残ったフランクルが、自身の強制収容所での体験を心理学者の視点から綴った本。
この本は、二つの部分に分けることができる。前半部には、強制収容所や当時のドイツナチス体制についての概略が描かれている。後半部では、フランクル自身が、強制収容所において見聞したことをもとにした、そこにおける囚人の客観的な心理学的分析が描かれている。
(この場合、彼は観察する客体であり、かつ囚人であるという意味で迫害される主体でもあった。そのため、この心理学的分析がどれほどの妥当性を持ちうるのか、ということに関しては留保が必要であることをフランクル自身が認めている。)
ユダヤ人問題に関心のあるないは別にして、ホロコーストという極限状況を生き延びた人物の体験談として、一読に値する。
@ 極限状況において人間が、いかにして人間としての尊厳を失わずに日々を生き延び、そして強制収容所での生活に耐えることができたのか。
A 人生に意義(意味ではなくて、意義。僕自身、人生に意味はないが、意義ならばあると思っている。)を見出すことができた人物は、強制収容所の生活に耐え抜き、それができないものは、死んでいった。ではどのようにして、人生に意義を見出すことができたのか。
以上二点の問いに対するフランクルの応答は、彼自身の体験が基にされており、説得力のあるものだったと思っている。
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