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日本史の別の見方のために日本中世史を専門とする著者の大学の講義に基づく。日本史の常識ともいえる見解に対し、異なる見方を提示していく。平易な語り口で書かれており、読みやすい。しかしその平易な語り口から見えてくるものは、まさに目から鱗が落ちるようなものだ。実に素晴らしい本である。
前半部は13世紀の日本社会の変動について。著者は、13世紀をもって日本の社会は断絶的に変化した、と語る。その自説を様々な分野において検証していく。文字、貨幣、宗教、女性の地位、天皇。どれも重要な問題であり、多くのことを教えられる。平民に普及した平仮名と、神聖な意味を持った片仮名。古代早くからの貨幣の使用と、中世における市場。宗教の話では、「非 人」と呼ばれる人たちは必ずしも卑しめられていたわけではない、と語る。通常の捉え方とは異なる見方を慎重に提示する。天皇の直属民だった神聖な民が、やがて卑賤される民へ転化する筋は、かなりよく書けている。また、江戸時代の女性がかなり自由だったという話は、きちんと押さえておくべきだろう。明治以降、いつの間にか過去は男尊女卑だった、とされてしまったのだから。
最高に面白いのは後半部。ここでは日本社会が農業社会か、と問う。そして「百姓=農民」という等式に疑問を呈する。商人や海賊などの姿を描いていく。思えば日本の行政は、農地を基準に管理する。農本主義である。だから管理上の資料は、農地に関するものが多い。そして後世まで長く保存される資料は、行政管理上のものが多いのだ。したがって、歴史資料の多寡を見る限り、日本は農業社会である。だが本当にそうだったのか。
奥能登の時国家を題材として、「百姓=農民」という図式が崩れていく過程を描いた章は実に素晴らしい。研究の進展を追体験できる。時国家は大型船を所有して海運を行い、金融業まで営んだ大富豪だった。しかし行政上は「農民」である。また、時国家で働いた人たちは、船で日本を飛び回る。だが行政管理上は彼らも「農民」でなければならない。だが彼らに耕地はいらない。だから名目上、土地を他から借りているだけの「水呑百姓」「小作人」である。教科書では水呑百姓と言えば貧しい農民である。だが、そうではない。彼らは土地を持てなかったのではなく、持つ必要がなかったのだ。そして、「百姓=農民」図式から抜けられない新聞記者の話は笑える。
ハイライトは、農本主義と重商主義のせめぎ合い。行政は農地を基本とするから、商業ネットワークは行政の管理外。したがってアンダーグラウンドだ。そこで海賊などが海運や手形流通の確実性を保証した。著者は、後醍醐天皇とその後の室町幕府のやったことは、農本主義から重商主義への転換だと述べる。アンダーグラウンドだった商業ネットワークを活用することにより、既存の秩序の改革をはかったのだ。豊臣秀吉の太閤検地などを経て、元に戻ってしまうが。
読みやすい本ながら、読めば読むほど驚かされる稀有な本である。歴史に対する多様な見方を涵養するのに、とても役に立つ。教科書で日本史を学んだ人なら、一度は読んでその歴史観を相対化すべきだ。誰もが読むべき一冊である。
日本の歴史をよみなおす手軽で面白い、空いた時間に読める”教養本”と思います。まず。著者のこの本を書くきっかけがいいと思います。どのような職業に就いていても、あることに関して世代間の考え方や感じ方が異なることを感じているはずです。そのようなみんなが感じることをきっかけに書き出してるところに、共感を覚えます。また、内容としては、今までの歴史観が変わるような大変おもしろい観点から論じているので、興味が尽きることなく最後まで読みきることができました。やわらかい物腰の書き方も非常に印象的です。ぜひ、皆さんも読んでみてください。
日本史の固定観念をよみかえる 歴史は過去の事実だから変えようがないが、史観は時代によって変わり、時々の史観により語られる歴史は変わる。マルクス主義は下部構造が歴史の動力であるという史観を述べ、その影響で農民の支配史に光が当たってきた。一方で網野さんは政権トップから農民に至るタテの支配関係では語りつくせない人々に光を当て、その結果最近の日本人の史観を変えうるほどのインパクトを秘めていると思う。
本書は網野史学の入門書であり集大成でもあって、古代聖別民、ケガレと差別、宗教観、天皇制、貨幣と商業活動、荘園公領制など論考の範囲は幅広い。一遍聖絵に始まり荘園代官の報告書、フスマの裏張りとして残った商家の帳簿に至るまで、これまで注目されてこなかった様々な史料を読み解きながら、日本=農業社会、男尊女卑、単一民族、孤立した島国、といった日本史の固定観念に挑戦していく。歴史好きには刺激的な一冊になるのではないか。
日本人はコメを作る民族であるという定義は、元々は7世紀の政権が日本列島を支配するために打ち出したテーゼだが、その後の長い歴史の中で民族の潜在意識のように引き継がれてきた、かのような情緒的な思い込みは自分も含めてかなりあると思う。稲作が主要産業だったことは事実でも、列島に支配者と農民しか存在しなかった訳ではなく、長い商工業活動の歴史があり、商道徳や経済用語などソフトウェアの蓄積があるからこそ、明治以降の急速な近代があり、現在の経済大国があると考えるのが自然ではないか、と考えさせられた。
そして網野さんが最初に言及した、歴史の区切り方について。「ものの考え方」で日本史を区切ると、室町時代と現代に転換点がくるという。古代王朝政治、中世武家政治、近代議会政治という政治体制分類とはまた違う時間の流れがあることは理解できた。そして現代もまた転換点であるという。その理由を若者の言動に見出している点、おじいちゃんの愚痴のようでもあるのだが、社会の変化が伝統的な価値観を揺るがせているのは事実。現代を哲学することは本書の主題ではないが、自分にとっては宿題のように残った。
目から鱗の歴史講義 網野氏の著作はどれも面白いが、気合いを入れないと読めないものが多い。一方で、この著作は通勤電車の中で気軽に読めるくらい平易な文体で書かれている。編集者への口述筆記がベースになっているらしい。
職能民や女性の社会的位置づけの変化、縄文時代の交易の様子、「水呑」の実態等、学校で習った歴史がこれほど怪しげなものだったとは。
この本に書かれている話は、短大での講義内容をもとにしているらしいが、当時の学生の反応は今ひとつだった由。猫に小判、短大生に網野先生か。
面白く思索の糧になるが、批判的に読むことも必要重要な指摘を多く含んだ、読みやすい良書と言っていいと思います。私は個人的にうがったものの言い方をする人が好きではないので、網野氏のような論者は敬遠していましたが、本書を読んで認識を改めました。ただ、いくら一般向けの講義録をおこした本とはいえ、どの史料を根拠に述べているか書いていない部分が多いのはマイナスだと思いました。
本書で一番面白かったのは、「畏怖と蔑視」の章です。犬神人や河原者といわれた中世の最下層民は、巷間言われたきた差別を受けるだけの存在ではなく、「ケガレ」につながる職能から「畏怖」を受ける存在であって、自らの職能に誇りを持っていたことを明らかにします。それが、どのように近世の最下層民につながっていったかはわからないとしながらも、社会が文明化され、自然への畏怖が失われたことが原因ではないかと言います。これは映画「もののけ姫」のテーマとも繋がります。日本社会・日本人にとって重要なテーマです。
一方、批判的に読んだ方がよいかなという部分もかなりあります。著者は日本国という国家ができたのは律令・国号を導入した天智・天武帝の時代といいます。別に、間違った指摘ではないのですが、ここでいう国家とはネイションではなくエトニですね。ですので、それまでの「倭」との断絶を強調する必要はないと思います。
また、天皇制がいずれ必要なくなるだろう、そのときには日本という国号も再考すべきだとも言っていますが、本書で述べられた歴史的知見からそこまでのことが言えるのかと率直に思いました。
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