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クチコミ情報
どんどん読める!メカニカルでアップテンポな物語と、寓話的な物語がエンディングに向けてリンクし始める様が脳を刺激します。ストーリーに引きずり込まれ、集中して読んでしまいますが、一度では作家の真意は掴めないのでは?掴めない僕は、何度読めばその真の世界観を共有できるのでしょうか。
全体的に緩やか。上巻と同じペースで緩やかにストーリーは進み、緩やかにトーンは下がる。
細部の描写は比喩も含めて上質ではないが、かと言って飽きる程でもない。
徐々に終熄というか、収束に向かい、最終的にハッピー過ぎずアンハッピー過ぎない終幕。
レビュアー自身、下手に結論を急いだ物語の終わりが好きでないので、この終わりは好きな部類。
全体的にのっぺりとしていて、前半・後半とも感想としては変わらない。
幻想的な現実感村上作品はノルウェイの森以来2作目。
ハイテンポで現実的なハードボイルドワンダーランドと
ローテンポで幻想的な世界の終わり
その相反する二つの世界が繋がり重なり合う。
「私」が使うことが出来るシャフリングという能力に隠された謎。そのキーである「世界の終わり」という言葉。突如手にする事になる一角獣の頭骨。計算士と記号士。やみくろという謎の種族。システムとファクトリー。太った女とリファレンス係の胃拡張の女。そして博士。
「僕」が訪れた「世界の終わり」という街。心を持たないが故に穏やかな永遠の日々を暮らし続ける人々。「僕」の記憶の大半を持つ引き剥がされた「僕」の影。街に住む一角獣。古い夢と呼ばれる一角獣たちの頭角。夢読みである「僕」の手伝いをする図書館の女の子のなくしてしまったはずの心。「僕」の影の脱走計画。
全ての謎が優しく、それでいて複雑に絡み合い二つの世界は除々に重なってゆく。
本当にいい作品に出会えた。
村上春樹からの壮大なメッセージ世界から脱出しようとする「世界の終わり」の「僕」と、世界から消滅しようする「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」。二つの異なる世界の主人公達は次第にそれぞれの終末へと歩を進め、それは誰にも止める事はできない…。村上春樹の谷崎賞受賞作、堂々の完結! ラストでの「僕」と「私」の選択は、実に衝撃的である。共に宿命に抗おうとするものの、最終的にはそれを受け入れる二人。喪失への達観を孕む彼らの対応は、人である以上は誰しもが持つ原罪への贖罪のメタファーともみてとれる。宿命に対して忠実であれ。そんな村上春樹の投げ掛けるメッセージに、読み手は射抜かれる事になるだろう。 二つの世界は彼らをその意思とは無関係に翻弄し、世界の中の己の存在に対する問答と救いようのない絶望に対する懊悩で繰り返し苛ませる。しかし、こういった愁然たる不条理は、著者の衒学趣味の挿入やアイロニカルなレトリックによってその敷居を下げられているのだ。極めて深刻なテーマを肩肘を張らずに読ませる為のこのギミックは、大いなる文学的挑戦に他ならない。 真に高尚なる文学とは、作品としてはアーティスティックでありながら、読み物としては決して読者を飽きさせずに絶えず刺激をもたらすものであろう。だが、現実には万巻の書の中でも、この条件をクリアできるものは稀少なのが実状である。故に、現代の日本文学において、この作品はまさに至宝といえるのではないだろうか。 これは、不死という幻想を通して人間の魂を描く、破格の物語だ。その道程は酷薄ではあるが、果てに待ち受けるものは余りにも荘厳な輝きに満ちている。
何時の時代もBobDylanはいい 1985年(昭和60年)にオリジナルが出た本書は、平成20年を過ぎた今も面白く読むことがきる。
パラレル・ワールドを描く本書は、「カフカ」の先駆けのようなものだけに興味深いが、それにしても、当時は"Positive Fourth Street" "Watching the River Flow" "Menphis Blues Again" そして「激しい雨」が一本に収まったテープがあったんだなあ。
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