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ダンス・ダンス・ダンス〈下〉 (講談社文庫)

村上 春樹 
ダンス・ダンス・ダンス〈下〉 (講談社文庫)
定価:¥ 680
新品最安価格:¥ 680
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reading in other ways

1:ビジネス書として。
上巻の最初の部分にプロフェッショナリズムに
基づく仕事の方法論が簡潔に述べられている。

2:世代論として。
1940年前後生まれの牧村、1950年前後生まれの「僕」と
五反田君、1960年前後生まれのユミヨシさん、1970年前後生まれの
ユキ。アメは恐らく1945年前後生まれだろう。戦後日本人の精神史を
横列配置した群像劇とも読める。

3:時代小説風ファンタジーとして。
1983年3月から数ヶ月間が舞台だが、発行は1988年の秋。
執筆は1987年以降だろう。80年代前半のバブル期以前と
80年代後半のバブル期がない交ぜになって、あの時代を
リアルタイムで知る者には、フィクション特有のタイムラグが
楽しめる。

4:天才論として。
アメの生き方について非常に洞察に富んだ記述が多い。マグダウエルと
カツマヨさんの『天才!』の様な「ジャーナリスティックなよみもの」よりも
もっと、ずっと本質的な天才性の把握。

5:現代史再考の資料として。
「高度資本主義」は単なる土地転がしと会計上のトリックを
扱っているだけで、昨今の様な「高度金融資本主義」を扱って
いる訳では無い。「地本主義」しか選択肢が無かった時代と
「金融」と言う別の選択肢が出来た四半世紀後の現在を
対比的に考える切っ掛けともなる作品。


羊男とは 結局 何だったのか?

 「羊男」は何者だったのだろうかとたまに考える。

 「羊をめぐる冒険」では 戦役から逃げた男が羊男として紹介されている。かつ 途中で「鼠」が その体を借りて 「僕」に会いに来ている。
 「ダンス ダンス ダンス」での羊男が誰なのかはさらに分からない。もしかしたら「鼠」かもしれないとも読めるが いずれにせよ村上春樹ははっきりと説明しない。最後の場面では「羊男」の居た部屋は がらんとして かつての羊博士が集めた本だけが残っているという場面だったと記憶している。

 村上春樹の作品で 超自然的な部分が初めて出てきたのが この羊男だと思う。この人物を梃子として その後の村上は 自由自在に 超自然を取り扱うようになっていった。その意味で羊男は大きな契機にはなったのだと思う。

 但し 繰り返すが 羊男が何を意味したのかは村上は明示していない。解釈は僕らに残された課題なのだ。



この社会でどうやって生き残るか・・・

上巻が「人生の示唆に富む」のに対し下巻は謎解きのようなストーリーがクライマックスに向かって高まる。読み始めたら目が離せず、主人公たちの会話をどんどん追っていく自分に気づく。本を読んで、気持ちがちょっと楽になる。生きるのにそこまで生真面目にとらえなくていいんだよ、常に死は身近にあるものであり、上手にダンスステップを踏めばいいのだと、心の中でなんども繰り返す。また、いつか読んでみたい、間違いなく名作だと思う。

ハワイ、そしてピナ・コラーダ

この下巻ですが、実際にこのあいだハワイ旅行に持って行って実地体験してきました。
ロイヤル・ハワイアン・ホテルのマイタイ・バーで飲むピナ・コラーダは最高です。
(ハレクラニ・ホテルでは、ピナはもうメニューになかったのが残念でした。)
ユキ、そして僕と一緒にハワイに滞在している気持ちになりました。
13歳の、痛々しく繊細な美少女のユキと、失われた10代を追体験していく34歳の僕。。
正直、キキの行方やメイの殺人事件については小説的にそれほどいい筋だと思えないのですが、細部にこだわり、高度資本主義社会で生きていかなくてはならない都会人の姿に何よりも共感を覚えます。
五反田君がやはりひときわ光っています。僕の周りの人々が次々と死んでいくその喪失感は、『ノルウェイの森』に通じる哀しさがあります。


4作品の中で一番面白く読みました

「ダンスダンスダンス」は「風の歌を聴け」から始まる、ぼく(主人公)が活躍する第4作品目です。(タイトルだけではシリーズ第何作目か分かりませんので始めて購入する方は注意が必要です。)

 本作では、タイトルが現すように、主人公(ぼく)はかなり積極的な動きをする。北海道、ハワイなどでの生活、また深い謎を解くためにも時には攻撃的なコミュニケーションをとる。それらは、ダンスを踊り続けるという羊男からのアドバイスにもよるのだろうが、ストーリーも奇想天外でこれまでの作品以上に奇想天外で楽しい。

 個人的には、4作品の中で一番面白く読みました。



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羊をめぐる冒険〈下〉 (講談社文庫)

村上 春樹 
羊をめぐる冒険〈下〉 (講談社文庫)
定価:¥ 500
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鼠という存在の大きさ

物語自体は、美しい耳のガールフレンド、羊という思念、羊男の存在など不思議な部分が多々ある。
この辺は突き詰めて考えるも良し、そんなもんかと軽い感覚で読み進めてもいいと思う。

読み終えてビックリしたのは、鼠という存在が私(読み手)の想像以上に大きくなっていたことだ。
風の歌、1973年のピンボールを読んでも、本書の終盤に至っても、鼠はそれほど大きな存在だと感じていなかったのだが。
それがラスト5行に到達したとき、形になった。
あるはずの所にあるべきものがないのは、とても辛い。
激しい喪失感を覚え目頭が熱くなった。

前二作と合わせて読み返していきたい作品である。


踊る前

鼠との本当の別れ。
そこから生まれてくる虚無感。
でも決して暗くないのはその文体のせいだろう。
乾いているのに,突き放さないその言葉たちが救いだった。
あり得ない出来事が目の前のことにように語られる。
それこそ,村上ワールドの一つの頂点だったのだ。


ハメられたのは主人公ではなくてあなた

下巻は、羊というエイリアンか悪魔のようなものが、世界を征服しようとたくらみ、羊博士に乗り移り、ついで右翼の大物に乗り移り、ついで鼠に乗り移り、鼠は首を吊って死ぬ、という話。その3人とも実は北海道の旭川に近い十二滝町という架空の場所に関わりがある。ここでも指の欠けた人物(ドルフィン・ホテルの支配人)が登場する。(『風の歌を聴け』に登場する小指のない女の子。)村上春樹は、そういうのが趣味か。死んだ鼠は幽霊となって主人公と話をするが(羊男は鏡に映らなかった)、そのあたりで羊は主人公に乗り移ってしまっている(羊は不死である)。鼠と黒服の男はめでたく別荘で「十二時のお茶の会」を開くことになっている。結局のところ、主人公は黒服の男にも百パーセントな耳をもつ女にも鼠にもその他大勢にもまんまとハメられたのだ。

失われた物語たち

『羊をめぐる冒険』というタイトル通り、
「羊」を主人公が探しに行きます。
でも、追いかけて確実に主人公が羊へと近づいているのに、
同じところをぐるぐる回っているような、奇妙でおもしろい気分を味わいました。
読んでいて、私なりに考えたことを書きます。

主人公の「僕」は世間に流されない印象を受けます。
この物語は第一章「1970/11/25」(上巻)から始まります。
三島由紀夫の死んだ日です。
けれども彼はこのことをたった一行ですませ、我々には関係ないこと、と言い切っています。
『羊をめぐる冒険』はほかの誰でもない、「僕」という個人の物語なのかな、と思います。
(同様に、十二滝町の歴史に登場する、アイヌ青年も私にとって印象的でした。
十二滝町の歴史の記述は、アイヌ青年の個人の物語でもあるのです。)

「僕」の物語に突然現れた「羊」は、僕という一人の確固とした個人の歴史に対し、
隠蔽された歴史、あるいは失われた歴史を表しているような気がします。
「羊」の大きな力により世界が左右されていることは、ほとんどの人が知り得ません。
そしてまた、この隠された歴史は、教科書に名を残すことのなかった個々の歴史にも
重なるところがあるかもしれません。


生き生きと「死んでいる」世界、と、死んだように「生きている」世界

意外な方向へ、意外な結末へ読者をいざなう、夢幻の御伽噺です。

前編では、大いに、ミステリアスな予感を持たせてくれましたけど、
後編を読み終わると、実際にはストーリーの真理は、
実はそういう娯楽小説的興味ではなかったということになります。

でも、後編のほうが、ワクワクしてのめりこんで読むことができました。

私が始めて読んだ村上春樹氏の作品、『ノルウェイの森』でも感じたの
ですが、本作品、『羊をめぐる冒険』でも、生と死という生しいテーマを
すがすがしくも、リズムを持った詩的な文体で描ききっていて、妙な夢的
感覚に襲われます。

他の作品のように、現実を生きる「僕」には名前がなく、「耳」の彼女も
みんな、この世を生きているはずなのだけれども、生気がない。逆に、
「いるか」ホテルの支配人や羊博士、羊男や鼠なんかのほうが、どうも
黄泉の国に棲んでいる様子だけれども、彼らは生き生きと生気がみなぎる。

唯一、黄泉の国と、この世をつないでいるかのような、黒服男は、なんとなく
生きているような、死んでいるような、現実感を持っている。

いったい僕らっていう存在は何なんだろうか?

そんなことを感じさせてくれる、不条理作品でした。



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羊をめぐる冒険〈上〉 (講談社文庫)

村上 春樹 
羊をめぐる冒険〈上〉 (講談社文庫)
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初期三部作はノーベル賞の対象外?

 村上のデビュー作「風の歌を聴け」で同じく我々読者の前にデビューしたのが、三階建ての豪邸に住むリッチな"鼠"とジェイズ・バーのオーナーである中国人の"ジェイ"である。ジェイズ・バーは、その後何度か場所を変え、今でも"街"の埋め立てられた海の近くでちゃんとやっている(はずだ)。"鼠"は村上の二作目「1973年のピンボール」で我々の前から消え、本作の最終章に近いところ「羊をめぐる冒険V」で、突然、"僕"と我々の前に現れるのだ。

"鼠"曰く、「これ以上堕ちていく自分を人前に曝したくなかったんだ・・・・・」だと。
"鼠"も"僕"も今や30歳になっている。
ここで、初期三部作は終了する。

 しかし、「羊男」と「羊博士」は、「クリスマス」と「ふしぎな図書館」でまたまた現れるのだ・・・・・。
 佐々木マキ描くところの「羊男」のギャップが大きすぎるのはどう考えたらいいのだろう。
 それとも、「羊男」ないしは「羊博士」なるキャラクターは、何らかの比喩か、そうだとすればそれは何?

 この初期三部作の三冊目を改めて読み返してみると、2008年そして今年2009年の二年連続して、期待されながら、しかし村上がノーベル文学賞が取れなかったその理由がなんとなくわかってくると言ったら・・・・・。
 今、この時期に「1Q84」が圧倒的な興奮を世界中に呼び起こした2009年という今年、この三部作を再読してみるそれなりの価値はあると言ったら・・・・・。


羊を大地で追いかけて

大学時代に出会って,もう25年あまり。
あの頃はあまりにのどかで,北海道に来てしまったら連絡のとりようのない状態なんて当たり前だっただろう。
北海道は今でも広いが,高速道路ができる前は,本当にどこに行くにも遠かったのだ。
そんな北海道の大地で繰り広げられる話。
道産子にとってはうなずけるシーンが多いのだ。
羊男と鼠,そして主人公,耳のモデル。
今でも設定が斬新だし,海外で評価されるのもうなずける。
羊は日本にとって管理された家畜だった。
今では人間が情報に管理されてしまっている。


青春はいつか終わるってことか

 新作1Q84の発表で、村上春樹への関心がバブリーに沸騰している。私は彼の作品のうち、本作をあまり好きではない。連作のキャラクター達が登場するから、好きな人は好きなのだろうが、長い割に楽しめなかった。
 固有名詞が一切出てこない作風は、彼の小説の普遍性を演出しているのだろう。そこがややキザな感じがするし、もったいぶった感じがするのだが。人から人へ渡り歩く観念的かつ実存的な「羊」については、いくらでも深読みできるだろうが、共通仮想敵のいない現代日本にとっては決定的な解釈がない。
 これだけ長いが、読後の感想は「青春はいつか終わるってことか」という感じ。


羊雲と鰯雲、サギとキザ

村上春樹の3作目。第1章は、誰とでも寝る女の子がいて、語り手である主人公はその誰とでも寝る女の子と寝て、誰とでも寝る女の子はトラックに轢かれて死んだ。この章はまったく不必要。第2章は主人公が離婚するはめになる話。村上春樹には子供がいないらしいが、この章にもあとのいくつかの章にもその言い訳がましい言葉が何回か出てくる。この物語の登場人物には、村上春樹を除けば、誰にも名前がない。無名だ。誰も名前で呼ばないし誰も名前で呼ばれない。そういう世界だ。それがねらいだって?「百パーセントな耳」(!?)を持った女がでてくるあたりから、話はまったくでっちあげであることがまるわかりの内容になってくる。鯨のペニスの挿話もいらない。平凡、退屈、凡庸といった言葉を多用し、あいかわらずうんざりし、煙草を吸いまくる。あるいはビールをのむ。梅雨は初夏だと勘違いしている。前作までに比べると、苦労して花の名前だとか鳥の声を出しているが、季節感が凡俗なのでどれもちぐはぐ。風景描写は実に下手だ。「世界に対して文句があるなら子供なんて作るな。」だって。やれやれ、いいきなもんだ。第4章からは羊をめぐるインチキ話が延々と続きます。乞う御期待。(下巻に続く)

独特の口調、リズムに、物語の推理性が加わった傑作

他の方のレビューとかを見ていると、どうも、私は
読む作品の順番を間違えているらしい。

本来は、『風の歌を聞け』、『1973年のピンボール』そして
本作品が一連の登場人物と、その物語らしい。それで、この後は、
『ダンス・ダンス・ダンス』を読む、というのが、正当な順番
だったらしい。

し、しまった。

とりあえず、『ノルウェイの森』に、なんとなく調子が似ている
ような感じだったので、あえての大作『海辺のカフカ』を今回は
辞めて、こっちにしたのだが・・・・。

でも。ま。

やがては、どれも、読むだろうから、順番はいいか。

まだ上巻だけだから、書評を書くのもいかがなものか、
という気もしましたが、でも、文章はおもしろい。
人気があるのも、うなづける。嫌いな人がいるのも、うなづける。

なぜか?

語彙や文章が簡単。簡単な文章で綴っていく「僕」。
音楽や詩のように、日本語のストリームが流れていく感触が
心地よいのかもしれません。

でも、ときどき、独特の哲学のような、思想のような、物語の
亀裂、ノイズのような台詞、言葉がどかっと出てくる。

そんなところが人気の秘密なのかもしれません。それはさておき。

この『羊をめぐる冒険』は、物語としても、今のところ、ミステリアスで
読者の興味を引きます。乾いた感性の物語というか、独白、手紙、会話
で成りたっているのは、いつものとおりなのですが、一体、「鼠」が
「僕」に託した、北海道で取られた「羊」の写真に写った、謎の
星型をもつ、存在しえない羊、と日本の闇を牛耳るフィクサーが追い求める
羊との因果関係。

この謎が、結局、僕と彼女を、「鼠」が待つ北海道へと、運命的な旅立ちを
引き起こす。

早く、下巻を読まなくっちゃ。



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1973年のピンボール (講談社文庫)

村上 春樹 
1973年のピンボール (講談社文庫)
定価:¥ 420
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いいきなもん

村上春樹の2作目は、いいきなもんである。文庫本で171ページの間に、「煙草」が61回出てくる。語り手である主人公も鼠もスペイン語の大学講師も実によく煙草を吸う。JT(ジェームズ・テイラーではない)のまわしもんか!? それから、「まるで・・・のように」という直喩が26回も使われる。うんざりだ。そして「うんざり」という言葉が6回発せられる。「それだけだ」が9回。決定的なのは、小説を書く上で35の誤謬があるが、そのうちの32が見つかるのである。たとえば、p.25に「これは『僕』の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。」とあるが、p.28にも「これはピンボールについての小説である。」とある。作者が本文中で自作の解説をしてはいけない。しかも続けてね。細かいことを言えば、p.61の「3月のはじめ」に「冬の明るさ」はいただけない。3月は明らかに春である。P.77、ヘンデルの「レコーダー・ソナタ」(リコーダー・ソナタだろ!)にヴィオラとチェンバロとあるが、ヴィオラはヴィオラ・ダ・ガンバのまちがい。このヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロが通奏低音なのに、「レコーダーとヴィオラとチェンバロのあいだに通奏低音のように肉を炒める音が入っていた。」というのも笑える。あとデビュー作と同様に「シャワーに入る」と言ってるけど、シャワーは「浴びる」もんだ。p.17、「池には水仙が咲き乱れ」。池の周りなら許す。要するにしったかなんだ。それで読者の気をひこうとする。わかるだろ?

あれこれ興味深い作品

本作は、後の作品に向け種を蒔いた恰好だ。「ノルウェイの森」「午後の最後の芝生」「ねじまき鳥クロニクル」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「アフターダーク」といった作品それぞれにおけるキーワードが、本文中にさらりと出てくる。これだけ多くのキーワードがこれほど早い時期に既に出ていたというのには驚きだ。まさに村上春樹の出発点となる作品である。

勿論、これはこれで一個の世界をつくっている。最も面白いのは、氏の他の作品では「突然の喪失」が多いのに対し、ここでは失う時にも誰かが「見送る」ことだ。例えば、〈僕〉は、同じアパートに住む少女の引越を見送るし、〈双子〉が帰るのも見送る。喪失しても暗くなりきらないのは、送別があることに救われる部分があるからだろう。


この頃から既にムラカミは・・・・・

 「1Q84」の2009年に作者のデビュー連作を再読することはなかなか面白いもので、「1Q73年のピンボール」と言ってもいいような本作、既にパラレル・ワールドの世界が見え始めている。1973年という年は、既に「古き良き時代」とはいえないかも知れないが、それなりの青春の輝きのようなものがあったアナログの時代であった。
 ジューク・ボックスから流れてくるのがあのジャクソン・ファイブというのも、マイケルの訃報を聞くにあたり、まったくの偶然とも思えないのだ。
 ピンボール・メーカーとして"BIG4"の時代があった当時、世界のAccounting Firm は"BIG8"の時代であった。これまた、懐かしい。
 1968〜69年という世界的な学生を中心とした「革命の時代」が過ぎ、1973年というこれから迎えるオイルショックも目前という時代、そうまだ何が起こるかわからない時代。そして、そう、「何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった。」のだ。


青春の哀しみはもう理解できない

二十数年ぶりに読んでみたものの、理解不可能なまま終わってしまった。
大人になればもう少し理解できるのかな?と思ったけど、若くなくてはわからないこともあるのだということを知った。
大学生でこの本に初めて出会った時に、あまりに気障な文章に生理的嫌悪感を感じたものだけど、やはり今読んでも鼻につく感じがある。
逆に、最近の作品ではあまり感じることがなかったのだけど…。世の中が村上春樹的に洗練されてきたということだろうか?
基本的に、この人の作品に出てくる男の欲望に都合良く作られてるような人形っぽい女の子が好きになれない。
そして、主人公の一見紳士的でソフトでありながら、冷笑的で内向的な卑屈っぽさがどうも共感できない。
要するに、どこか納得できないものを感じてしまうのだ。
でもまぁ、この人の独自の世界ってすごいなと思うし、ストーリーも面白いし、アフォリズムにも感心させられる。
嫌いじゃないんだけど、やっぱりちょっと鼻につく、村上春樹。
何が言いたいんだ?っていうのが素朴な疑問です。
読んでいて少し不愉快になるのは、若い日々の自分の愚かしさを思い出してとても哀しくなるからだろうか。
そういう意味では、タイムリーに青春の哀しみを描いて、若者の支持を得た優れた作品といえるのだろう。


ゆとりの僕が解釈

僕は村上氏の生きた時代背景は良く分からない。知っているとすれば全共闘時代の中に青春を見出した世代のひとりというイメージがある。それは扨置き。この作品は、全く世代の違う現代に生きる僕がこの作品に対する解釈を許してはくれなかった。だが無理矢理理解した結果以下のようになった。
若者が資本主義社会に埋没し、都会の喧騒の中リアリズムを模索してゆく暗い闇のお話しに感じた。
戦争があるわけでもなく、ただなんとなく生きていられる。いくら女を抱いても、物に自身を投射しても自身の価値を見出だせないであぐねいている若者の物語と感じた。何も生み出さないピンボールに力を注ぎマニア並に知識を得て満足する姿は現代のオタクを連想させる。現実から逃れ、自身の妄想世界に自身をやつすことでしか現実感を獲得することもできない人間を連想させた。
結果的にそれらからは「何も生まれないし何も得られない」。そんな空虚と虚脱感を感じた。
見知らぬ土地にいって何もかも終わらせてしまいたいのも、孤独を紛らわすためにリアリズムを感じさせない妄想的双子を登場させたのも作中の登場人物の絶対的孤独感の紛らわしに過ぎないと思った。そして次々に襲う不安定な感覚に僕らはやり過ごすことしかできないでいる。
結果なにを得たのかも分からずバス停で、穏やかな日のもと、そしてそれからの漠然とした未来もただ生きるしかないという不確かな未来を暗示して終わった。
僕は現代人の感覚も村上春樹の生きた若者の生き急ぐ渇き飢えみたいなものは共通していると最後に感じた。だからこそ「ゆっくり歩け、そして水をたっぷり飲む」が生きてくるのだと思う。僕らは渇いた青春時代を幾度と繰り返すけどいつか夢のようであればいいというそんな願いを感じた。



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風の歌を聴け (講談社文庫)

村上 春樹 
風の歌を聴け (講談社文庫)
定価:¥ 400
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流れる空気が心地良い

ビールを飲んで語り合う。
女の子と出会い、別れる。
そんな、風のように通り過ぎていく夏が心地良い。

そして、
キザさが鼻につくが、心をくすぐる「僕」
言葉少なげで影のある「鼠」
二人を温かく包み込むバーテン「ジェイ」
この3人のやり取りはクールなんだけど、どこか温かい。
これも心地良い。

仕事に疲れたとき、行き詰ったとき、
そんな時にこの本をふと開きたくなる。


愛着を覚える作品。

村上春樹作品で
いまだに読む気が起こるのは
これだけ。


あとは、もうお亡くなりになられたような状態
(「文学」なるものにからめとられてしまった)で
目も当てられません。


ご本人も、このデビュー作と次作の『1973年のピンボール』は、
海外での出版を許可していないらしく
その点でも、逆の意味で、受けとめ方は一致しているのかも。

表紙(カバー)や、
そのイラスト上部に書き込まれている言葉
「A HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」などもふくめて
愛らしい、
愛すべき作品。

名作・・・



こいつがデビュー作か

冒頭からいきなり美しい。
デレク・ハートフィールドの台詞には心に残るものがる。
また、この物語の「僕」も非常に魅力的で、彼のユーモア溢れる発言には心惹かれる。
こんな不思議な人物は私の周りにはいない。
ていうか、デレク・ハートフィールドって架空の人物ですか。
なんてこったい。

「何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ければ年老いることは苦痛ではない」
10年後、いや、5年後には再読必至か。


鼻につく。好きなネタとか節は多いんだけど、ハードボイルドな感じがどうしても受けつけない。たぶん彼が故人だったら許せてたんだろうな。

わたしはいまノルウェイの森 上 (講談社文庫)の最初舞台になったといわれる寮に住んでいます。
村上春樹も一時所属していたそうです。

以下、内容について。

・一晩ノンストップで読める量。
・「米国の作家に偶然魅かれて、墓場まで行って、カッコイーでしょ?」って感じで鼻につく。
・知的レベルの高い大人な登場人物ばかり(うらやましい)。
・「そういったお名前では電話帳に載っておりません」の「そういったお名前では」の部分に主人公が引っ掛かったりする描写がすごい。
・三人目の女の子の話が怖い。鳥肌が立った。考えついたのか?
・「女って一体何を食って生きてるんだと思う?」−「靴の底」というくだりがあるが、これは"Rubber Sole(ゴム底)"→"Lover Soul(恋人の魂)"ではないかという説をブログかなんかで読んだ。

好きなネタとか節は多いんだけど、ハードボイルドな感じがどうしても受けつけないので星2つ。
たぶん彼が故人だったら許せてたんだろうなー。


風の歌のような

印象的なセリフ、魅力的な表現、にもかかわらず時間の経過とともにどんな内容だったか忘れていく。
1度楽しんだにもかかわらず、何年か経つと読んだことがなかったような気になるから不思議。
読み始めると所々で思い出すのだけれど。
センスが良く、おもしろいのだけど、たいして深い内容はない。伝えんとするものもない。
でも、下手に価値観をおしつけられるよりずっと文学らしい気がする。
また忘れた頃に読みたい。



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スプートニクの恋人 (講談社文庫)

村上 春樹 
スプートニクの恋人 (講談社文庫)
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スプートニクの恋人

村上春樹さんの作品を初めて読みました。色々勉強させていただきました。

ペダンティックで性欲の強い作家だと友人から聞いていましたが、僕は表現が豊かで知識を増やしてくれる作家さんだと思います。

スプートニク号であったり観覧車のような円を運命に例える作品はほかにもある。
でも、ロシア語で旅連れを意味するスプートニク使うあたりはさすがだと思いました。



最初は好きではなかった。けど・・・

最初読んだ時は、好きではありませんでした。
しかしタイトルと表紙の絵が好きだったからか、何度か読み返していくうちに段々と良さが分かった気がします。
なぜだろうと考えてみても、はっきりとした答えが浮かばないのですが、そういう曖昧な領域こそがこの小説の魅力ではないかなとも思います。
本文中に、「理解とは常に誤解の総体にすぎない」という言葉があります。その言葉の意味に注意しながら読んでいくと違った世界観が感じられると思います。それはミュウが閉じ込めれていた世界であったり、すみれが入っていってしまった世界だったり、また読者がいつの間にか迷い込んでしまった世界だったり・・・・。


こっちの方が100%の恋愛小説

「僕」が帰ってきたとか、そんなことはどうでも良いです。

年齢も性別も超えて、ただ純粋に恋に落ちて、誰かに死ぬほど恋焦がれるなんて、
ロマンチックじゃないですか。

すみれみたいな理屈も保身もない恋、
一度でいいからしてみたいものです。


慣れが必要か

初めて触れた村上作品。
もちろん好き嫌いはあるだろうが、独特な言い回しや展開に慣れが必要だなと感じた。
ノンフィクション作品に親しみがある身には現実離れ感が先に来てしまう。
他の作品も読んでみる必要がありそうだ。


徹底的な孤独と喪失感に満たされた恋愛小説

 当初、単行本で発売当時(10年くらい前)に読み、同著者の「ダンスダンスダンス」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に比べてあまりよい作品とは思えなかった。物語のカタルシスがなく、単調なストーリーに思えた。
 今回、文庫本で再読すると、自分に変化があったのか、前回のような印象はまったくなかった!村上春樹の文章そのものが魅力的で、『気の毒なお月様が使い古しの腎臓みたいにぽこっと浮かんでいる」や「くだらない冗談を燃料にして走る車が発明されたら、あなたはずいぶん遠くまで行けるわよね」といったフレーズにあたると、目を閉じて、ゆっくりその言葉を味わって楽しめた。
 スプートニクという人工衛星からイメージする無重力の広大な宇宙空間で絶対的な孤独と、大切なものを失う喪失感、それらにすべて許容して生きていかなければならない悲しさと勇気が与えられるような小説だった。



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国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

村上 春樹 
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過去への郷愁

この小説は、恋愛、結婚、育児、仕事を一通り経験した30代以上になって読むと心の琴線に触れる何かがある。
まだ人生経験が浅かった思春期の頃は刺激的で、感覚的に時間が長く感じた恋愛も
一通り人生経験を積み年齢を重ねると、慣れのせいか当初覚えた心の躍動、感動を覚えなくなってしまう。
もちろん、自分も変わるし、周りも変わっていく。
その変化は、現在の生活を築く上で必要だったかもしれないが、逆に失ってしまったものもある。
過去を共有した人と再会した時に、その変化をどう感じるのか?
過去は過去とわりきれるのか、
それとも逆に現在の生活への空虚感、喪失感を抱くのか?

主人公は、過去を共有した人と再会することにより、現在の生活から別の世界に踏み込んでいく。
その世界は、単なる過去の再生ではなく、「国境の南、太陽の西」にあるもの。
そこで感じる幻想感、浮遊感は、現実の世界にある空虚感を埋めるものであり、
奥行きのある会話とともに、変わらない、変えようがない過去への郷愁を誘う。

「しばらくっていうのは、待っているほうにとっては長さが計れない言葉なんだ」
「でもたぶん、そういう言葉が必要な状況というのがあるのよ」
「そしてたぶんというのは重さの計れない言葉だ」
「そこは(国境の南、太陽の西)はたぶんの多い国なの」


傑作揃いの春樹作品の中でも、ひときわ輝きを放つ秀作。

不倫と正直に、公正に向き合いながらも
描写にこれだけの清潔さを維持させる物語構造、
美しい感情移入のさせ方は大変見事なもの。

線引きの難しい卑屈と謙遜の境界を上手いこと渡りながら
真摯な自嘲を決して忘れない。
そしてやはり村上春樹の恋愛小説の根底にあるのは
高度資本主義の構造=システムの矛盾を内側から掘り崩す
攻めの姿勢ですね。一見ヤワに見える文体だが
その裏に見え隠れするのは、確固としたシステムへの闘争心です。
妻の父に「たまには浮気もいい、そんな息抜きがあったほうが
かえって夫婦生活は上手くいくものだ」というようなことを言われる
シーンがとても印象に残っています。このような、何気ない言葉から
資本主義を軒下から支える恋愛観や結婚制度、性欲の洗練化といった
システムと、人間にもとより備わっていた心象のカオスとの弁証法が
心地良い密度で持って僕らの価値観を刺激してくれるのです。

主人公が、大好きだった曲『スタークロスト・ラヴァーズ』を
聴きながら零す終盤の台詞がたまらない。


私を丸裸にする隣のお兄さん

村上春樹を読んでいると、感情のヒダを、逆なでしているのか、癒しているのかわからなくなる。
結局、感想としては、イタキモチイイ、のではあるけれど、それは崇高な感覚ではない。
三島由紀夫が芸能人なら、村上春樹は隣のお兄さん感覚で、私の内面をさらけ出そうとするのだ。
だからこそ、リアルで卑猥で、ひたすらザワツキ、現実を眼前に突きつけられるのだ。
そう、私も同じです、と。

だからこそ、この作品も、とても愛しく感じられると共に、村上春樹の才能に、ただひれ伏すのみである。
この本を読み進めながら、うんうんと頷きながらも読者として感じていたことは、オトシドコロはどうするのか?ということであった。
しかし、本作品はほぼ完璧であったと思う。
唯一、「ハテナ」と感じたのは、妻の存在だ。
願望として、いてほしい、こうあってほしい、と私自身心から憧れるけれど、現実的ではないような気がした。
しかし、現実的であることの意味はどうでもいいほど、最後の最後まで、この作品は良くできていた。

最後の一行まで、私には、この結論以外には考え付かないほど、お見事であったといえる。

きっと多くの人が思うだろう。
「僕」は僕です、「僕」は私です。
と。

それほどに、この作品は、臨場感あふれる作品だったと思う。

ちなみに、私も9年ぶりの再読組です。



おりかえし

村上春樹は有名すぎて、「自分の感想に自信がもてない・・・」という妙な感覚が
あるのですが、この作品は心を通るものでした。多くのことをおきざりにしながら、
手に入れてきた現実・・・そこから時折、逃げたり飛び越えたりしたくなる・・
自分がそんな年齢だから、響くことが多かったです。


人生の長さを感じる

物語の筋だけをいえば、
主人公が恋をして、恋をしながら学生が終わり、社会人になり、年をとり・・・
その間には、住む場所が変わったり、仕事が変わったり、
お金や車も、昔とは全然違っていく。

でも、10年たっても、20年たっても、40年たっても、
最初の恋を忘れない。


何度読んでも不思議な本で、人生の長さを、
そしてやはり、「人生は短い」と感じさせてくれる本。

だって1つの恋も忘れないうちに、どんどん年ばかりとっていってしまうんですから。



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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

村上 春樹 
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どんどん読める!

メカニカルでアップテンポな物語と、寓話的な物語がエンディングに向けてリンクし始める様が脳を刺激します。ストーリーに引きずり込まれ、集中して読んでしまいますが、一度では作家の真意は掴めないのでは?掴めない僕は、何度読めばその真の世界観を共有できるのでしょうか。

全体的に緩やか。

上巻と同じペースで緩やかにストーリーは進み、緩やかにトーンは下がる。
細部の描写は比喩も含めて上質ではないが、かと言って飽きる程でもない。
徐々に終熄というか、収束に向かい、最終的にハッピー過ぎずアンハッピー過ぎない終幕。
レビュアー自身、下手に結論を急いだ物語の終わりが好きでないので、この終わりは好きな部類。
全体的にのっぺりとしていて、前半・後半とも感想としては変わらない。


幻想的な現実感

村上作品はノルウェイの森以来2作目。
ハイテンポで現実的なハードボイルドワンダーランドと
ローテンポで幻想的な世界の終わり

その相反する二つの世界が繋がり重なり合う。

「私」が使うことが出来るシャフリングという能力に隠された謎。そのキーである「世界の終わり」という言葉。突如手にする事になる一角獣の頭骨。計算士と記号士。やみくろという謎の種族。システムとファクトリー。太った女とリファレンス係の胃拡張の女。そして博士。

「僕」が訪れた「世界の終わり」という街。心を持たないが故に穏やかな永遠の日々を暮らし続ける人々。「僕」の記憶の大半を持つ引き剥がされた「僕」の影。街に住む一角獣。古い夢と呼ばれる一角獣たちの頭角。夢読みである「僕」の手伝いをする図書館の女の子のなくしてしまったはずの心。「僕」の影の脱走計画。

全ての謎が優しく、それでいて複雑に絡み合い二つの世界は除々に重なってゆく。
本当にいい作品に出会えた。


村上春樹からの壮大なメッセージ

世界から脱出しようとする「世界の終わり」の「僕」と、世界から消滅しようする「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」。二つの異なる世界の主人公達は次第にそれぞれの終末へと歩を進め、それは誰にも止める事はできない…。村上春樹の谷崎賞受賞作、堂々の完結!
ラストでの「僕」と「私」の選択は、実に衝撃的である。共に宿命に抗おうとするものの、最終的にはそれを受け入れる二人。喪失への達観を孕む彼らの対応は、人である以上は誰しもが持つ原罪への贖罪のメタファーともみてとれる。宿命に対して忠実であれ。そんな村上春樹の投げ掛けるメッセージに、読み手は射抜かれる事になるだろう。
二つの世界は彼らをその意思とは無関係に翻弄し、世界の中の己の存在に対する問答と救いようのない絶望に対する懊悩で繰り返し苛ませる。しかし、こういった愁然たる不条理は、著者の衒学趣味の挿入やアイロニカルなレトリックによってその敷居を下げられているのだ。極めて深刻なテーマを肩肘を張らずに読ませる為のこのギミックは、大いなる文学的挑戦に他ならない。
真に高尚なる文学とは、作品としてはアーティスティックでありながら、読み物としては決して読者を飽きさせずに絶えず刺激をもたらすものであろう。だが、現実には万巻の書の中でも、この条件をクリアできるものは稀少なのが実状である。故に、現代の日本文学において、この作品はまさに至宝といえるのではないだろうか。
これは、不死という幻想を通して人間の魂を描く、破格の物語だ。その道程は酷薄ではあるが、果てに待ち受けるものは余りにも荘厳な輝きに満ちている。


何時の時代もBobDylanはいい

 1985年(昭和60年)にオリジナルが出た本書は、平成20年を過ぎた今も面白く読むことがきる。
パラレル・ワールドを描く本書は、「カフカ」の先駆けのようなものだけに興味深いが、それにしても、当時は"Positive Fourth Street" "Watching the River Flow" "Menphis Blues Again" そして「激しい雨」が一本に収まったテープがあったんだなあ。



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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

村上 春樹 
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読ませる

ぎっちりと文字の詰まった膨大なページ数。
長々と続く比喩。
どこか抽象的なストーリー……。
最新作の1Q84よりは一般小説に近いかなー、と思いますが、やはり作者の芸風が色濃く出ています。
ファンタジーとリアル両刀の世界観は面白く、くどい文体もリズムに乗れればむしろ軽快。
一般小説とは一味違った魅力があることは確かです。


村上ファンから最も支持されている作品

初めて読んだのは小学5年生のときだったと思う ある種の衝撃を受けた その衝撃は、言葉で上手く表現する
ことが出来ない  ただ、この本には、【何か重要なこと】が書かれている気がした  



いまだに、僕は、この本を読むことを止められずにいる  けっこうな分量の本である  しかし、どうしても
読んでしまう  嫌なことがあった日  ささやかな喜びを見出せた日  いつの日も、常に、隣にいる



村上氏の他の作品と同様、難しい言葉は使われていないので、中学生でも読めるだろう 




この小説に含まれる【ある種の哀しみ】は、何年経っても、人の心を揺さぶり続けるのだ


春樹嫌いでも

世界に引きずり込まれて夢中で読んだし、壮大で面白かった。
ファンタジーの傑作と思う。
村上春樹はあまり好きではないけどこの本は好き
(64/100点)


弱々しい物語

今更この本にコメントする必要など本当は何もないのだが。何とか文学賞でのスピーチだの、新作が空前のベストセラーだの、という空騒ぎをばかばかしく思うついでに、この作者の小説で自分が最後に読んだこの本に雑感を。
ストーリーも文体も非常にスマートで、ブランド物の洋服や雑貨のように、知的ファッションのツールとしては申し分ない作品。しかし、小説の底はきわめて浅い。物語というものの本質的な娯楽性を逆手にとって読者の不意をつき、喉下に匕首を突きつけ無理心中を迫る、というような真の道化のリアリティーはここにはない。「ふり」程度はあるかもしれないが、読者だけ死んで、自分は生き残ってしまう情けないパターン。いや、読者もこの程度で死んだりはしない。そういう意味では、まったく安全・安心な商品。
「壁」も「システム」も単なる幻想にすぎない。小説の中だけの、文字通りの「フィクション」。「心」もまた同じ。すべては作者の頭の中ででっちあげられた空虚な概念。そんなもの物語の外の「現実」のどこを探しても存在するわけがない。そんなことは百も承知と言いながら、作者も読者も、何か人生の、あるいは世界の真実に迫ったかのような錯覚を楽しんで、自分らの「物語」の限界にはまったく気がついていない様子。「物語」の役割に対する過度の信頼や筋違いの神聖化はやめたほうが良い。それが行き過ぎれば、ひょっとして、そういう「物語」こそが「壁」や「システム」に成り果てることになるかもしれぬ。
そういう意味では、現代における「物語」の衰弱した姿がここにはあるのだと思う。まあ、弱い、というのがこの作者のトリッキーなセールスポイントではあるのだろうが。


低俗風。

上巻を読んだだけの時点でのレビュー。
ストーリーの展開の仕方やストーリー自体は、まぁ巧いと思う。
なので、読み易いと言えば読み易い。
けれども、嫌な点が主に2つ。
1つは、巧くもない比喩が冗長過ぎるまでに織り込められている点。
結局、そういった「無駄」な部分を省いたら、中身は単純で薄い気がする。
それでもストーリーはしっかりしているので、そのストーリーに対する評価は「巧い」なのだが。
比喩の所為で興醒めする。
もう1つは、何彼に就けてセックスの話題を織り交ぜたがっている点。
それがハードボイルドだと勘違いでもしているのだろうか。
性欲に愚直な主人公と、身持ちの脆い(脆そうな)周辺女性のやり取りに、うんざり。
どう言い訳しても、かなり低俗に見える。



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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

村上 春樹 
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良さがわからない

自意識過剰。
鼻について読んでてもイライラするだけ。
どこがおもしろいのかさっぱりわからない。


これを傑作という今の読者層って・・・(苦笑)

村上春樹、誰もが一度は読んで「わかった気になり」、いっぱしの文学青年を気取る作家の代表ですね。
昔はまったく違う作家がこのような位置にあったのでしょうし、今の読者層が特に知的レベルが下がったともいえないかもしれませんが・・・これを傑作ともてはやす人たち、あまりに読書してなさすぎ。
20代までの若い読書好きたちよ、とりあえずトルストイやバルザック、ディケンズを読んでから、もう一度ここに戻っておいで。30代以上で村上春樹のこの本がいい!と思ってる人は申し訳ないですがそのままでいいです。

この作品は中学生くらいで読んで、「わけわからんけど、なんかおしゃれ!」、で終わっていいと思います。構成、表現、登場人物の作りこみ、すべて浅薄です。あまり読書してない人にはこういうのが深そうに見えるんでしょうね・・・。世の中にはもっともっと優れた本がたくさんありますよ!!!


いい本でした

あることで非常に悩んでいたとき、むさぼるように本を読んでいて、この一冊に出会い、ぐいぐいと引き込まれるように読みました。その後、今までの悩みがふっ切れたようになり、また現実に戻ることが出来た。といった、出会えて本当によかったと思える本です。

すまない・・・・・・。

私が馬鹿なのか?それともこの作品が難解すぎるのか?
言いたい事は何と無くわかるのだけれど、抽象的過ぎてついていけない……。
そうかこれが純文学か!

一応三巻全部読破するつもりだが、起承転結がなくて挫けそうになった。なんというかけれんみがないから余計に辛い。森博嗣を初めて読んだときと同じ置いてけぼり感を食らってしまった。

主人公がこの手のにありがちな透明さがあったという以外は……一巻は特に面白みがなかった。ここまで読み手を試す本は初めてだ。


ねじまき鳥の登場と猫の失踪で動き始める、避け得ぬ苦難を迎える夫婦の愛(哀)の物語の序章

「あなたは私と一緒に暮らしていても、本当は私のことなんかほとんど気にとめてもいなかったんじゃないの?あなたは自分のことだけを考えて生きていたのよ。きっと」

この三歳で祖母に預けられた経験を持ち、主人公と出会うまでは絶対的な孤独を背負い生きてきたクミコ(主人公の妻)の言葉に彼女が抱える深き苦悩と夫を心の拠り所としていることが如実に現れています。

最後半、二人がお世話になった預言者である本田さんの第2次大戦時の上官・間宮中尉の外蒙古での諜報活動が独白される中、恐らく陸軍中野学校卒の上級情報将校がソ連の将校・ボリスに全身の皮を剥がれる様が描かれますが、それはまたクミコが抱える苦悩や心の痛みの大きさが比類なきものであることの暗示でもあるのでしょう。

アムステルダムでの最後の英会話でフリージャーナリストの26歳の英国系女性は「ねじまき鳥クロニクル」のsurrealな世界にとても魅かれたと言っていました。ある種の人にとっては限りなく深い意味を持つ、村上さんの幾分かは自伝的な小説です。



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