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クチコミ情報
その理論以上に理念に、はっとさせられる本 難解と言われるビオンの理論について、ビオンの言葉を用いながら、そして著者の言葉を程よく添えながら伝えてくれていると感じました。
程よくというのは、ビオンの考えに対して著者自身の捉え方が入ることを自覚しているということです。ビオンの考えを壊さずに読者に伝えようとしながら、無味乾燥な解説書にならないように著者の実感のこもった理解が入れようとしている。
とても慎重に、そして誠実に書き記そうとする姿勢が伝わってきます。
ビオンの理論についての理解は、それでも確かに難解と感じる部分があります。しかし他の図書よりもずっと理解しやすく感じさせられるのは、そうした筆者の姿勢からくると思われます。
また、頭でなんとか理解しようとしている自分に対し、気付かされる別の視点も述べられています。ビオンの理論を具体的な臨床場面ですぐ応用することには、読者個人の力量やそれまでのビオンの理論についての理解の程度によるのでしょう。ちなみに現在の自分には難しいことと感じています。
しかしそれ以上に、ビオンが言わんとしたことについて、そして筆者がビオンの考え方を踏まえて、伝えようとしている「考え方」について、勇気付けられる本です。
精神分析を学ぶ者の必読の書 現代の精神分析は、自我心理学から対象関係論にパラダイムシフトしており、
フロイト−>クライン−>ビオンへと、その進歩は、物理学でのニュートン力学
から量子力学、相対性理論への飛躍によくたとえられます。
ビオンの巨大な業績は、世界中の分析家に多大な影響を与え続けていますが、
例えば中核的な著書であるセブン・サーヴァンツ「精神分析の方法」を少しでも
本気で読んでみようとすればわかりますが、その難解さは、最高峰、エベレスト
の様に、読む者を容易には近寄せません。
この本は、難解なビオンをわかりやすくその本質を浮き彫りにして、読む者を
滋養してくれます。読書の体験そのものが、ビオンがcontainer/contained の概念
の中で精神分析のモデルとしてあげた母親と授乳される乳児との関係で表したこと
を具現化しているように私は感じました。
ビオンが提示した ♂/♀ -♂/-♀ Ps<−>D K L H noK -K -L -H α β
O T グリッド 破局 頂点 などの不飽和な概念や視点が、読む者の「考えること」
という考えるための装置を発達を刺激し、促してくれるようにも感じました。
「終章 ビオンに学べないこと」 では、精神分析とは何か 改めて考えさせられます。
「ビオンの考えをマスターしてビオンのようになることではなく」
「ビオンと2者関係に留まるのではなく、第3の立場を自らの内に確立し」「ビオン
と対話すること」そして「自分自身の考えを持ち」、私自身「である」こと。
「精神分析は、何かを発見するためのさらなる問いなのです」
精神分析を学ぶ者の必読の書であり、著者の「対象関係論を学ぶ」と併せて読むと
理解が深まると思います。
日本の精神分析最前線最近の松木先生の活躍ぶりは驚くべきものがあります。精力的に次々と本を出版するだけでなくそれぞれのご本の内容が素晴らしい。日本精神分析界の至宝と呼ばれるべきでしょう。この本もビオンを下敷きにしながら、あくまで日本で適用すべき日本語の精神分析理論が展開されています。一定以上内外の精神分析についての素養がある読者は、読み進めつつ、オリジナリティーあふれる理論展開に何度も膝を打っことになるでしょう。ただ、初心者向きではありませんので。
教科書としてはすばらしい同著者による「対象関係論を学ぶ」もそうだったが、この著者の、他人の論考を教科書的に小器用にまとめる能力は、精神分析業界随一のものがある。この本も、ビオンの面白さがしっかりと込められており、マニュアル的に分かりやすいものを求める向きには、非常におすすめできる。
が、ビオンのいない「精神分析」がもはや考えることができないようには、この本、および著者の存在感は無い。労力を惜しまない読者なら、ビオンの著作に直接あたったほうが、はるかに実のある読書経験を積めるであろう。
むしろ、この本の見所は、はじめと終わりに書かれた、松木の家に住む二匹の猫との関係を、治療関係となぞらえて書かれた部分である。
とりわけ、はじめに書かれていた、迷い猫を保護する松木の姿勢というのが、治療者としての姿勢を強く暗示しているようで興味深い(松木の“保護”してあげようという姿勢に、牙をむいて“抵抗”していた子猫が、半ば松木の責任でもある不慮の事故によって脚をくじき、無力化したところでようやっと、松木家の手厚い“保護”を受けることができた、というあたり。「脚をくじく」なんてところからは、精神分析界隈で特権的な位置を占める神話を連想せずにはおられず、そのような神話を統べる存在として著者は自身を位置づけたかったのではないか)。
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