TOP > Amazon 関連商品検索  

論理哲学論考 (岩波文庫)

ウィトゲンシュタイン 野矢 茂樹 
論理哲学論考 (岩波文庫)
定価:¥ 735
新品最安価格:¥ 735
『論理哲学論考 (岩波文庫)』の関連商品を見る
クチコミ情報

ありがとうございます。

小6の時寝る前天井見ていたら突然初めての恐ろしさを伴う感覚に襲われました。自分は名前で呼ばれてるけど隣りに寝てる妹でもよかったのではないのか?一体なんでここにいるのか?とゆうより自分は一体何なのか?急に別の自分が生まれたようで怖かった…。以来ずっと自分は親に付けられた名前の人物であるという状況にゆるぎない違和感を持っていました。神経症だと思っていました。誰にも言わなかったし何処にも書いてなかったし。しかしこれに書いてありました、いや書いてあると感じました。生存の為の手段である事が全ての言語では世界で最も重要な私の中の何かは表現できないのでしょう。しかし私は確実に感じています。音楽が私に与える何かのように。

必読教科書というよりは参考書的ポジションかも?

哲学のバックボーン無しでこれを読んで自分なりに理解してから
『論考を読む』等の解説本を読むと、多くの人は自分の考えの浅薄さに
呆れる事になると思います。かくいう自分もそうでした。

とにかくこれは普通の本ではないので、内容を理解するという観点からすれば
『論考』を直接読むよりも解説本から読んだ方がいいのかもしれません。

でも『論考』→『論考を読む』というような順番で読むと
上で書いたような恥辱と、ある種の「そうだったのか!」的な感動が味わえますので
Mな人や巷で流行の「アハ!体験」みたいな事をしてみたい人は、
ここはあえて『論考』から読んでみたらいいんじゃないかなと思います。


我々は沈黙すべきか・・

ラッセルが序文で書いてるように、ウィトゲンシュタインは何も語る事は出来ないと言いつつ、この本は何かを語っている。沈黙せよといいつつ彼は沈黙しなかった(この本の後はしばらく沈黙するがゲーデルの不完全性公理に触発されてまた哲学を始める。そして彼はこの本を否定する)
 はっきり言ってしまえばウィトゲンシュタイン(Wとする)は語らないで語ることができるということを無視している。それは世界を事態の絵であるとしている時点で明白である。当たり前だが言葉は絵ではない。絵は(視覚芸術全般は)限定芸術である。(シュールレア等の現代芸術が肉体という限界インプレッションに辿り着いて絵画の歴史が終わった・・)
 だが言葉は無限芸術である。例えば・・少女がイスに座っている・・と書かれているとする、解釈は文字通り無限だ、それぞれ個人によって情景の浮かび方は違うだろうし、少女という言葉が何を意味するか、それを知らない人間もいるだろう。つまりこの文は限定をしているのではない、言葉は限定をする事はできない。それはWの言うように言葉の不完全性をしめすのではなくて、言葉の無限性を示すのである。(完全や不完全さというのは何の意味もない)
 何も正確に語れないから沈黙せよというのはハッキリ言って馬鹿げている、Wの言い方をするなら無意義だ。ラッセルやホワイトヘッド、フレーゲの推し進めた科学哲学ははっきり言ってエネルギーがない。哲学と行動が分離していて結局のところ何の役にも立たない。(科学というのはそもそも何の役にも立たない、科学というのを技術と誤解している人が多いが)数理論理学があまり人気が無く、ヘーゲル、マルクシズム、ニーチェ、実存主義という厳密でない(ただの宗教だとも言える)哲学が時代を動かしたのと対局をなしている。
 ラッセルもやがて自分の哲学の無意味さを実感したのではなかろうか・・だから彼は後生をすべてを(まったく科学的でない)平和活動などに捧げたのであるから・・科学哲学は科学至上主義を信じたがる若者の一時の熱狂でしかなかったように思われる。年をとっても科学哲学をやり続けた哲学者はほとんどいない、だいたい転向するか否定はしないが違う事をやり出すものだ。
 21世紀の社会もまた科学礼賛主義(今回はただの愚劣さが原因であるが)に支配されていてエネルギーを失っている。またニーチェのような扇動的な天才が現れて人生と哲学の一致をはかるだろうか・・しかしそのような思想はいつも戦争に終わるのである・・・・(戦争が良いことか悪いことかということはわからない。そして戦争がエネルギーをもった人間によってしか行われ得ないことも事実だ。簡単に言えばわれらには戦争をするエネルギーすらない・・人生は退屈だ)


思考宇宙のそのはてに

「思考の限界とはなにか」がこの本のテーマ。しかし、このテーマはそれ自身に矛盾を含む。
このことは、古典的宇宙論と比較するとわかりやすいのではないかと思う。

古典的宇宙論では、宇宙にはてがあるのかという大問題があった。
宇宙にはてがなければ、宇宙は無限大になるが、無限大の宇宙などありえるのだろうか。
宇宙にはてがあるとすれば、そのはての向う側には何があるのか。という問いに答えられない。

「思考の限界とは何か」についても同様なパラドックスが潜んでいる。
つまり、思考が無限大ということはないだろうが、思考に限界があるとすれば、その限界の
先には何があるのか。この問いに対し思考により答えることは不可能だ。

この矛盾を知りつつも、ウィトゲンシュタインは論理学の力で、一歩一歩、思考の限界に
向かって進んでいく。その姿はまさに息を呑むほどスリリングだ。

この古典的宇宙論と思考の限界の矛盾の問題を今一度考えて頂き、再度、この本の序の
最初の三行と、本文の最後の五行を読んで頂きたい。
その時、ウィトゲンシュタインは深い霧の中からあなたの前にその姿を現してくるだろう。


  序  (最初の三行) 

おそらく本書は、ここに表されている思想−−−ないしはそれに類似した思想−−−
をすでに自ら考えたことがある人だけに理解されるだろう。−−−それゆえこれは
教科書ではない。

  本文 (最後の五行)

私を理解する人は、私の命題を通り抜け−−−その上に立ち−−−それを乗り越え、
最後にそれが、ナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行
なう。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
私の諸命題を葬りさること。その時世界を正しく見るだろう。

語りえぬものについては、沈黙せねばならない。 


哲学初心者にこそ読まれるべき本

はっきり言えば、哲学初心者には難解すぎる本かもしれません。本の形態も特殊ですし、「方法序説」などといった、所謂哲学入門的本から読みたくなる気持ちも理解出来ます。しかし、訳者注が適切に配置されているため、注を参考に丁寧に読み進めることが出来れば、かなりの部分を理解出来ますし、そして、何よりも、一番最初に難解な本を読めた!という感動が、次の本を手に取るための原動力になり得るのです。ですから、題の通り、哲学初心者にこそ読まれるべき本である、と再度言いたいと思います。全編万遍無く理解する必要などないのです。哲学ってどういうものなのかを、実地で、しかも、名著で体験していただきたい。そして、ある程度経験を積んでから、また本書に帰ってきて欲しい。

最後に、他のレビューにもありましたが、訳者である野矢さんの「『論理哲学論考』を読む」も併せて読めば本書の理解も進みますし、哲学というのは小難しい言葉をこねくり回している、という偏見もなくなるでしょう。



この商品を買った人はこんな商品も買っています:ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫) | 方法序説 (岩波文庫) | ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書) | ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書) | ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出 (平凡社ライブラリー (266)) | 
関連商品を探す:『論理哲学論考 (岩波文庫)』

ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たちSelect)

飯田 隆 
ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たちSelect)
定価:¥ 1,575
新品最安価格:¥ 1,575
『ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たちSelect)』の関連商品を見る
クチコミ情報

ウィトゲンシュタインとの距離のとり方

今や現代英米系哲学を志す人の必読書となった観のある「言語哲学大全」の著者、飯田隆先生のウイトゲンシュタインの入門書です。
いつものクールな感じとは違った著者に出会えます。もっとも、語り口はいつもどおりクレバーです。こんな入門書をもっと早く読んでおきたかったです。
ウイトゲンシュタインの哲学に出会ったときの衝撃、呪縛からどう脱出するかで、研究者の質が問われるような気がします。
ウイトゲンシュタインを礼讃して、翻訳しているだけで研究者としてやっていける時代もありましたが、現在ではもうそれは許されないでしょう。




この商品を買った人はこんな商品も買っています:ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書) | ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) | ハーバーマス―コミュニケーション行為 (現代思想の冒険者たちSelect) | ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書) | 現代思想の源流―マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサール (現代思想の冒険者たちSelect) | 
関連商品を探す:『ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たちSelect)』

ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える

中村 貴志 
ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える
定価:¥ 4,515
新品最安価格:¥ 4,515
『ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える』の関連商品を見る
クチコミ情報

建てること/住まうこと/考えること

 哲学者マルティン・ハイデッガーの講演録「建てる 住まう 考える」の全訳に、非常に詳細な解説がついた、充実の内容です。

 訳者が建築家ということあり、哲学者の言葉が建築的視点から捉えられているのが面白いと思います。

 もう10年以上も前になりますが、大学院(建築学科)在籍時代に修士論文を書きながらゼミで皆で一生懸命翻訳し、議論し合った内容が、満を持して出版されたということもあり、個人的にも思い入れのある逸品です。

 当時共にゼミに参加した諸先輩方の懐かしい名前も挙がっており、かつての雰囲気を思い出します。



この商品を買った人はこんな商品も買っています:哲学者の語る建築―ハイデガー、オルテガ、ペゲラー、アドルノ | ハイデガー (KAWADE道の手帖) | 建築論事典 | 都市のイメージ | ユリイカ2009年6月号 特集=レム・コールハース 行動のアーキテクト | 
関連商品を探す:『ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える』

哲学者の語る建築―ハイデガー、オルテガ、ペゲラー、アドルノ

伊藤 哲夫 水田 一征 
定価:¥ 2,940
新品最安価格:¥ 2,940
『哲学者の語る建築―ハイデガー、オルテガ、ペゲラー、アドルノ』の関連商品を見る
クチコミ情報

建築を哲学する

 伊藤哲夫・水田一征 編・訳「哲学者の語る建築」は、ハイデガーを筆頭に、現代を代表する4人の哲学者が「建築」について語った講演論文を翻訳・紹介したものであり、「住まうことの根源を心の命題として問う建築論」。

 建築に携わる者としては、「建築」を表す動詞としてすぐに「建てる」が思い浮かぶが、よく考えるとむしろ、「住まう」「考える(哲学する)」という動詞の方が一般的のようにも思う。本書はその中でも、考えるプロである4人の哲学者による「建築」が語られている。

 以下にその内容を簡単に紹介。

マルティン・ハイデガー(1889-1976/ドイツ)
 タイトル:「詩人のように人間は住まう」
 1951年10月6日に行われた講演。
 同年8月5日には、ドイツ、ダルムシュタットで開催されたドイツ建築家協会の大会において、「建てる 住まう 考える」と題する講演を行っている。
 一言:詩を詠うということは、住まうことの本質をつくる。

ホセ・オルテガ・イ・ガゼット(1883-1955/スペイン)
 タイトル:「技術の彼岸にある人間の神話」
 1951年8月5日、ドイツ、ダルムシュタットで開催されたドイツ建築家協会の大会(テーマは「人間と空間」)において、建築家たちを前に講演したもの。
 一言:人間は技術者であり、新しい世界を創造することが重要である。

オットー・ペゲラー(1928-/ドイツ)
 タイトル:「建築と美しさ」
 1966年6月29日にハイデルベルク大学で講演したもの。
 一言:建築はそれ自身が美しいだけでなく、他のものをも美しく輝かせる。

テオドール・W・アドルノ(1903-1969/ドイツ)
 タイトル:「今日の機能主義」
 1965年10月にドイツ、ベルリンで開催されたドイツ工作連盟大会において、建築家たちを前に講演したもの。
 一言:一国の文化の程度は、便所の落書きの程度によって推し量ることができる。





この商品を買った人はこんな商品も買っています:ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える | 建築論事典 | ユリイカ2009年6月号 特集=レム・コールハース 行動のアーキテクト | 思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻) | 世界制作の方法 (ちくま学芸文庫) | 
関連商品を探す:『哲学者の語る建築―ハイデガー、オルテガ、ペゲラー、アドルノ』

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

ジョージ・オーウェル 高橋和久 
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
定価:¥ 903
新品最安価格:¥ 903
『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)』の関連商品を見る
クチコミ情報

オブライエンは戦わない

 私には先入観がなかったからか、社会主義やソ連について書かれているとは思えなかった。いまの日本に当てはめると、真理省に勤めるウィンストンは公務員、二重思考を使いこなすオブライエンは官僚、プロールはテレビから流れる情報を鵜呑みにする自分自身に思えて怖くなった。(ビッグブラザーが誰か、あるいは何かは想像してください。)
 改革を夢見た39歳の公務員が見事なまでに叩き潰される、そんな日本でないことを願います。


5w5

「例の本」は新訳により「あの本」になりました。
「ニュースピーク(新語法) 第11版」に完全準拠しています。
印刷物を所有する兄弟同盟のメンバーはミニトルー(真実省)窓口にて交換してください。


あまりにも現代的

作品中で寡頭性的集産主義と呼ばれるこのいわゆる全体主義と現代の社会が根本的には同じだ、と感じました。


社会主義と民主主義が共存していた頃の話

村上春樹の『1Q84』を理解するきっかけになるかと思い手に取ったが、
特に関係はなかった様に思う。

この本は1948年に1984年のソビエト連邦の実態を予想した本であり、
1991年にソビエト連邦が崩壊し、社会主義の不成立が世に知らしめられるまでは
とても興味深い本であったと思う。

ただし2009年の今、絶大な権力を持つ社会主義大国は存在しない。
社会主義は過去の歴史の一幕となり、その庶民の生活、政治については
小学生の教科書に掲載されるまでの周知の事実となってしまった。

オーウェルの細かな世界の構想は歴史的事実と驚くほど一致し、
それがゆえに、皮肉にも歴史話をもじった話のようにも感じられてしまう。

この本は出版から40年後までに読まれる本として執筆されたものであり、
既に一つの役割を終えているのではないかと思う。


良いです

古い訳は知りませんが、この本はとても良かったです。
ピチョンの解説も良かったです。私なぞは本文だけでは表面的なことしか分からないのですが、この解説は深くて勉強になりました。



この商品を買った人はこんな商品も買っています:動物農場―おとぎばなし (岩波文庫) | サハリン島 | 動物農場 (角川文庫) | 村上春樹『1Q84』をどう読むか | すばらしい新世界 (講談社文庫 は 20-1) | 
関連商品を探す:『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)』

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

永井 均 
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)
定価:¥ 756
新品最安価格:¥ 756
『ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)』の関連商品を見る
クチコミ情報

ミステリアスで魅力的な思想家ウィトゲンシュタインを見事に紹介

思想のあるべき位置にとどまり、「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない。」と語る、ミステリアスで魅力的な思想家ウィトゲンシュタイン。僕にとってウィトゲンシュタインは深過ぎる。だが本書によって、鬼気迫る迫力で、剃刀のように切れ味の鋭いウィトゲンシュタインの思想を体感することができる。講談社現代新書の「これがニーチェだ」と言い、著者永井均は、新書本の紹介で俄然、力を発揮するように思う。

「言語ゲーム」の記述に関しては希薄

特に後期哲学に関しての入門書として読みました。
「言語ゲーム」に関しては、理論や説明に相当省略部分があるように思いました。
私はそのためほかの「入門書」とあわせて読んでみましたが、やはりすこし内容がこの部分に関しては薄い気がします。
ただし、ある文芸批評家はこれ一冊で「ウィトゲンシュタイン」がわかったといっていましたから、ある程度の知識が前提とされるのかもしれません。


断念して品位を保つ

本書はウィトゲンシュタインの初期、中期、後期へと時代を追って、問いと考えの変遷を追う。哲学は答えではなく、新たな問いを投げる。著者は、この本を哲学の本であって、人物紹介でもなければ、解説書でもないと述べる。
言語ゲームに至るまでのウィトゲンシュタインの語りの過程が、その後の確実性の問題まで、新鮮で興味深かった。限界を突き詰めていくような考えの過程。問いの答えがないと覚るしかない限界。そうとしか言いようがない事態、あるがままに受け容れるしかない与件、そして語りえないとすら語りえないもの。

私とあなたは、どうしてこれほどわかりえないのか。
私はあなたがわからない。語りえぬものを語ろうとして私は失敗した。私の背後にありもしないものを読み取られて幻滅した。
私はあなたの注意を私に向けたい。それ以上のなんの意味があっただろうか。あなたは私をわからない。
私の興味のあるところでは、他者理解や私的言語について、もうしばらく反芻して吟味し、咀嚼していきたい。読者が「私の問い」を問うたら、おそらく本書の目標達成に一助をなすのではなかろうか。


独特の観点

ウィトゲンシュタインの思考の変遷をその人生にも触れながら描いていく著作。非常にコンパクトに、うまくまとまっていると思われる。ある種伝記的な色合いを持つ。

しかし問題の中心は著者自身(永井均氏)の問題に帰されるように見える。
「私」が「この私」であるのはどうしてか?単なる「独我論」に集約されない、共有されない独我論。
そのような問題を提起することに自分で言っていて矛盾を感じるが、この書はウィトゲンシュタインを通して著者永井均氏の問題を訴える書であると私は感じる。この問題自体は非常に面白く、ここから哲学は面白い!と思う人もきっといると思う。著者の読みではこの問題はウィトゲンシュタインが終生抱えていた問題だという。その読みも面白い。

ウィトゲンシュタインの哲学は「語りえず、示される」ものを雄弁に語りたくなる、そんな哲学だ。永井氏を惹きつけてやまないものもそんな一面にあるかもしれない。そして同氏の問題も「語りえない」問題だ。この本を読んでああすごい、と思える人は哲学が向いているかもしれない。そんな知的好奇心を強くくすぐる一冊。


立派な態度

序文におよそこういうことが書かれています。
『そこに解りにくい問題があるとします。それを解りやすく伝えたと
 しても、それが解りやすくなることなどありません。しかし、でき
 るだけそれを解りやすく伝えることには意義があります。なぜなら
 それが解りにくいということが、いっそうはっきりするからです。
 いっそうはっきりすると、途方に暮れることとなります。この地点
 から、その解りにくい問題があなたの問題となるのです。これが
 哲学の成り行きです。また、解りにくい問題に解決をのぞまれるの
 であれば、どうか他をお読みになられてください。・・・・・この
 入門書を読んで、私の理解するウィトゲンシュタイン的問題を、あ
 なたが私と共有してくださったときには、ウィトゲンシュタイン自
 身の著作にどうか分け入っていただきたい。もし、そうならないの
 であれば、ウィトゲンシュタイン的問題と、あなたは無縁だったの
 す。』
永井さんの「SO COOL!」な面がかいまみえるような気がしませんか?
このような立派な態度で書かれたものには、信がおけます。





この商品を買った人はこんな商品も買っています:ハイデガー入門 (ちくま新書) | ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書) | フーコー入門 (ちくま新書) | 論理哲学論考 (岩波文庫) | これがニーチェだ (講談社現代新書) | 
関連商品を探す:『ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)』

世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)

ネルソン グッドマン Nelson Goodman 菅野 盾樹 
世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)
定価:¥ 1,365
新品最安価格:¥ 1,365
『世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)』の関連商品を見る
クチコミ情報

ネルソン・グッドマン、この名はもっと知られて然るべし

「多くの世界があるというのは、正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの
世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。世界はどのようにして
作られるのか。その制作にさいして記号はどのような役割をはたしているのか。さらに、世界
制作は知識とどのように関連しているのか」
 これらが本書において取り上げられるべき主題。キーワードは、例えば「ヴァージョン」。

 あるときは認識論、あるときは存在論、あるときは芸術論。
 イギリス経験論の香りをはらみつつ、カントの香りを漂わせつつ、分析哲学の香りを放ち
つつ、パラダイム論の香りをまといつつ……そんな知の重層性に加えて、誰とも違う氏特有の
思索のアプローチが交わった濃密な一冊。


パトナムやクリプキが好きなら買っておこう!

入手困難だったグッドマンの主著が文庫になってる!
あわてて購入しました。みると訳も見直されておりうれしい。
グッドマンは最初は論理実証主義者っぽところもあって、反事実的条件
法の分析や「グルーのパラドクス」など言語哲学のテクニカルな部分での
イメージがあったが、本来は言語哲学自体を乗り越えることを模索していて
いたのだなあ、懐深いのだなあと、いまさらながら「世界制作」という哲学
らしいタイトルをみて感じました。邦訳は少ないけど、パトナムの「内在的
実在論」へも影響を与えた人物。1998年になくなりました。
没後十年、最近のちくま文庫のなかでもこれはなかなかのイイ企画では
ないでせうか。


待望の文庫化!

グッドマンほど我が国で冷遇されてきた哲学の巨匠はいないだろう。最近刊行されつつある某大手出版社の哲学史シリーズ――日本人研究者が書いたことがウリの――でも見事に無視されている。さて本書は本国アメリカで刊行されるや大きな反響を引きおこした問題作であり、グッドマンのメタ哲学ならびに記号主義を事例に即して懇切に展開した、グッドマン哲学への最良の入門書(あるいはそれ以上)だ。かつて、みすず書房から刊行されたが長らく品切れになっていた。哲学に関心のある人だけでなく、工学系やデザイン関係者などに読まれていたらしいが、容易に入手できなかった。古本相場も高かったし、第一古本屋の店頭に出なかったのだ。今回文庫化されたが、早速確認したところ、訳や注も改善されていて格段に読みやすくなった。訳者による解題や用語解説も資料として役にたつ。


この商品を買った人はこんな商品も買っています:物語の哲学 (岩波現代文庫) | 相対主義の極北 (ちくま学芸文庫) | かたり―物語の文法 (ちくま学芸文庫) | 事実・虚構・予言 (双書プロブレーマタ 7) | 増補 科学の解釈学 (ちくま学芸文庫) | 
関連商品を探す:『世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)』

現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)

五十嵐 太郎 
現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)
定価:¥ 777
新品最安価格:¥ 777
『現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)』の関連商品を見る
クチコミ情報

思考回路に沿った明晰な文章

 建築を知らない人も興味を持てる一冊。

 「現代建築に関する16章」とタイトルにある通り、客観的な視点と比喩・比較が
章ごとに重ねられてゆく。例えば、「形態と機能」「全体と部分」と本文にあるように、
部分で取り上げながら、時代とその背景が展開されてゆく。

 著者に建築以外の情報も多く、ひとつから全体を、全体からひとつを、というような
奥行きと広がりを感じる。なんといってもわかりやすく、情報を伝えるという観点に絞
られた内容の文章。


多数の対立概念で建築を分節していく

建築に関するさまざまな対立的なモデルが紹介されている.ロバート・ヴェンチューリの「あひる」と「装飾された部屋」,青木淳の「原っぱ」と「遊園地」,モデルとはいえないが「斜線」と「スロープ」,クロード・レヴィストロースの「近代的な科学者」と「器用人 (ブリコラージュのひと)」,エリック・レイモンドの「伽藍」と「バザール」,男性原理と女性原理,白井晟一の「弥生的なもの」と「縄文的なもの」,ブルーノ・タウトの「伊勢・桂」と「日光東照宮」あるいは「天皇的」と「将軍的」,伊藤忠太と岸田日出刀の「神社」と「仏教」,丹下健三などにおける「大衆的」と「貴族的」等々.本のなかばまでひろいあげてきたが,書ききれないほどである.

著者はこうしたさまざまな対立概念をたてて建築を分節していく.とても,めざましい.しかし,あまりに密度がたかすぎて,軽いきもちで新書をよみはじめた読者にはなかなかついていけず,散漫な印象をあたえてしまうともいえるだろう.


歴史を踏まえた現代建築「論」

本書の手段はタイトルにもあるように、現代建築です。日本の建築家も丹下、磯崎といった大御所から、中堅の隈、伊東、それに若手まで扱われています。それらについていきなり書き始めるのではなく、建築史上の謎や、オウムのような社会問題などから書き起こしているので、非常に入りやすいのではないかと思います。

歴史の話から、あるいは時事問題から、様々な話題から現代建築へと議論が展開されていくあり方は、著者の文章力とあいまって、大変読みやすい。

また、著者自身の撮影による写真もふんだんに掲載されていて、話の内容がビジュアルなイメージとしてもよく伝わってきます。

読み終わったあとで、洗練された建築論を少し身につけたな、と思える良書だと思います。


時空の認識を表現に取り込むというのは困難な仕事ではある

 建築に関するあれこれということで、各章の関連は希薄だが、現在の建築動向が語られている。話題としては、個別の建築、巨大建築、都市設計、時間・空間とのかかわりとしだいに大きくなっていくように思える。

 自宅の維持管理に役に立つ情報をと期待していたのだが、個人住宅は範囲から外れていたようだ。ビル全体を巨大スクリーンにするような話も出てくるが、自分の家の外壁をスクリーンで囲うなどはやりたくないので、本の主題からはずいぶんとずれてしまった。
 ともあれ、都市空間がどのように創造されるか、また時代認識の反映のされ方など、生活者として興味深い話題も多い。意外に建築は時代の後を追っているようなところがあるという印象を受けた。建築は具体性を要求されることからそのような結果になってくるのだろう。建築は設計者の現実認識の結果を強く反映しているようだ。


建築史を学問的に正当な視点から記述することの難しさ

現代において建築史を学問的に正当な視点から記述することの難しさを知悉した著者が、建築史家として鋭意努力している現状と問題意識を精緻にして平明に語った1冊である。知名度のある建築家の新作が竣工するたびに国内外を飛び回り、作品を現地で具に時空間を体験する、誠に正当な努力を惜しまない歴史家であり、批評家である。
何事も実物のリアリティを知らずしては、批評の対象にはなりえず、況や歴史学の対象にはなりえない。その歴史学的困難な時代を、歴史家として生き抜く使命を軽やかなフットワークで乗り越えようとする日々の研鑽から得た知見の数々を16章にわたって解き明かす。ことに建築史の存在意義を薄れつつある現代において、<教養としての建築>が日本では崩壊し(日本の教育が崩壊した所産に過ぎない)、大学においてすら「現在は、歴史と批評が分断されています。アカデミックな現場では、そういう方向性が強いので、通史が困難になっています。」(p.177)と語る。にもかかわらず、歴史と批評のために、建築家の営為を同時代者として書き留めるため、北朝鮮やイランなど旅行しにくい地域をも含めて精力的に現地を訪ねる。この直向さで得られた知見を介して、16章のテーマが選ばれている。それらのテーマで、特筆すべきは「情報」、「メディア」、「透明性と映像性」と通史でも扱われてきた視点が、現代に併せた用語に変換してまとめあげる。建築の全体像をバランスをもって知りぬいた著者ならではの観点が活きている、というべきか。講義風の研究ノートともいうべき1冊で、語り口は軽いが重要な史的かつ方法論的糸口を随所にちりばめた味読に耐えうるレクチャー・シリーズである。
中国語訳が出る由、本書の実力が証明された。慶賀にたえない。



この商品を買った人はこんな商品も買っています:美しい都市・醜い都市―現代景観論 (中公新書ラクレ) | 天下無双の建築学入門 (ちくま新書) | 人類と建築の歴史 (ちくまプリマー新書) | 空間―機能から様相へ (岩波現代文庫) | 新・建築入門―思想と歴史 (ちくま新書) | 
関連商品を探す:『現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)』

建築の多様性と対立性 (SD選書 (174))

R・ヴェンチューリ 伊藤 公文 
建築の多様性と対立性 (SD選書 (174))
定価:¥ 2,100
新品最安価格:¥ 2,100
『建築の多様性と対立性 (SD選書 (174))』の関連商品を見る
クチコミ情報

未だに色褪せない現代にも通じる思考

ある編集者は最近の建築界の思考状況はこの本の状態から変わっていないとも言っていたが、確かに形態レベルでは進化したが思想レベルでは進化をせずに同じ問いを続けているのかもしれない。

一見、単純に多様なものを受け入れようとする考えだと誤解を招くように思えるが「全てを偶然性にゆだねることは許されない。p.81」と考え方を前提にして本書は読み進めて行くべきだと思う。同じような言葉でコルビジェの「システムのない芸術作品などありえない」という言葉を取り上げている。それは「建築家は慣習を用い、それに生気をもたらすべきだと思う。P.83」という考え方にも反映されているだろう。慣習とはまさにシステムであり秩序である。重要なのは偶然性を引入れることと秩序が同時に存立することである。それは本文中のアルド・ファン・アイクの引用に通じるだろう、

「建築とは、明確に規定された媒介空間(残存部分)を形成する事だと考えられている。だからと言って、主空間はほったらかしのままで良いとか、絶えず変転しても良いというのではない。その反対に、空間の連続性を重んずる現行の概念(一種の病気のようなもの)とか、外と内、一つの空間とほかの空間、一つの存在とほかの存在などの、空間相互の間の区分を消滅させてしまおうという傾向とは、はっきり袂を分かつものである。空間相互は、双方にとって重要なものを保ちつつ、明確に規定された媒介空間を介して結びつけられるのだ。その意味で、媒介空間は、反目しあう両極が再び双対現象に帰するような、共通の土壌をもたらすのである」。

p.152-153

秩序を保ち、かつ偶然を受け入れる一つの状態とは「空間相互は、双方にとって重要なものを保ちつつ、明確に規定された媒介空間を介して結びつけられ」ている状態である。ミースのユニバーサルスペースのような多義的な「一」の状態でもなく、コルビジェの純粋幾何学で形成される「明確でしかも曖昧さのない偉大な単純形態」でもない、その中間のような構造を持った空間だと考えられる。そして、中間を形成するのに「残存部分」(媒介空間)が重要になる。まさに、この空間が全体に揺らぎを与え、無境界的な役割を果たす「間」である。

建築の各空間を大小の「間」を介して繋がる、そこでは

両者共存という現象は、より限定するならば、建築における対立性に帰すると言え、一方、対等な組合せは、統一に帰するのだ。

p.186

という大きく分けて「両者共存」と「対等な組合せ」という「対立性」と「統一性」を引き起こす二つの空間の組合せ手法/力が示される。多様性はこの二つの力によって保持される性質だと言えるだろう。それは以下のような説明で槙さんの「グループ・フォーム」とも繋がる。

ポポロ広場の双子の教会堂の各々は、プログラムの段階では完成しているが、形態表現の段階では未完成だと言える。先述した通り、非対称の位置に付けられた塔が、各々の教会堂を、より大きな全体へ屈曲しているのだ複雑な建物でありながら、それ自体をとると不完全であるようなものは、槙の言う「グループ・フォーム」に該当する。それは、「完璧な建物」もしくは孤立したパヴィリオンの反対のものである。

p.191

重要なのは「未完成」を成立させるための秩序(建築) そのような視点なのではないか?と思った。

そして、多様な形態を生み出す、という視点では現在行なわれるコンピュータプログラミングによる形態生成もヴェンチューリの頃から行なわれる形態生成も多様性の概念が本質的には同じ概念で作られているように思われる。そういう意味では、「モノの多様性と対立性」という感じがする。しかし、ここで述べられている考え方は「モノゴトの多様性と対立性」を考える上でも重要な知見を秘めているように思える。

そういう点で考えると、同時期にG・ベイトソンが精神の生態学を世に送り出していたと言う事実は興味深いように思える。


現代なお多義的解釈可能ができるマストな一冊

~コルビュジェの『建築をめざして』以降、最も重要な建築書の中の一つであると賞賛され、『ラスベガス』と並ぶヴェンチューリの名著である。彼は、秩序とは必ずしも整然としているものではなく、真の秩序とはその中に多様性と対立性を包含しているものである、としている。純粋主義に基づく近代建築の「意味の明快さ」に対するアンチテーゼとしての多様性と対~~立性とは、その多様さや対立を包むがゆえの「意味の豊富さ」である。マニエリスム建築を中心とする豊富な図版によるデザイン原理の解説は、ファサードデザインの範疇に限らず現在なお幅広い多様な解釈が可能である。これを読まずして現代建築は語れないと言える「マスト」な一冊である。~

モダンからポストモダンへ

機能、合理主義が建築の世界で叫ばれる中、建築の空間はそのためだけに生まれるものではないと言い切ったベンチューリの名著。

建築の歴史書としてモダンからポストモダンの流れを掴むもよし、今日当たり前になった建築を当たり前と考えるのではなく、なぜこのような建築が生まれてきたのかを知り自分の設計が歴史ではどのようないちづけであるのか見つめ直す契機を与えてくれる。

歴史の基本的な流れを知ったあとに必ず読んでおく本である。


この商品を買った人はこんな商品も買っています:建築をめざして (SD選書 21) | ラスベガス (SD選書 143) | 錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫) | 建築家なしの建築 (SD選書 (184)) | 空間―機能から様相へ (岩波現代文庫) | 
関連商品を探す:『建築の多様性と対立性 (SD選書 (174))』

磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ

平松 剛 
磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ
定価:¥ 2,300
新品最安価格:¥ 2,300
『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』の関連商品を見る
クチコミ情報

充実の建築ノンフィクション

戦前の岸田日出刀から前川、そして丹下、本書の主人公たる磯崎と、日本の近代建築のメインストリームをその各時代で代表する建築家達の関係を縦糸に、東京都庁という「日本最大のコンペ」における建築家たちの奮闘ぶりを横糸として、非常にコンパクトに多くの内容を詰め込んだ、エンターテイメントとしての建築書。なんだかんだと小難しい理屈を振り回しながらも、結局は「かっこいいから」この形を選ぶ、あるいはなんだか良くわからないまま選んだ形にあとづけでそれらしい説明をくっつける、リアルな建築家たちの息遣いを赤裸々に綴った文章にも好感が持てる。


ドラマとして面白い

判り難い建築書などではなく、小説として単純に面白いです。著者の前作「光の教会-安藤忠雄の建築」も読みましたが、今回も文体が明快で、ストーリー展開もスムーズ。最後までいっきに読み進むことができます。

物語のメインはやはり主人公・磯崎新と師匠・丹下健三の師弟対決。コンペという直接対峙することのない戦いですが、熾烈な格闘劇が描かれています。また磯崎新の弟子、事務所の所員たちの視点で描き出される磯崎新の素の姿も、変に面白く魅力的で読者を引き付けます。各登場人物ごとに書かれるサイドストーリーも豊富で、それが物語に厚みを持たせています。ひとつひとつの場面が映画のように視覚的に描かれていて、最後まで読者を飽きさせません。読み物として非常にオススメです。

もし、許可が得られるようであればコンペに提出した提案書の内容も添付してあると、読者にはうれしかったかもしれません。私は最後に別の書籍で確認しました。きれいな図面、精巧な模型写真、想いの溢れたテキスト等、すべてが物語とつながっていて感慨でした。提案書の内容は物語の核心部分ですから、オチが先に分かってしまう危険を伴いますが、見比べると非常に面白かったです。


平松剛『磯崎新の「都庁」』はオススメ本

1985年の東京都庁のコンペをテーマにしながら
1,戦後の建築界を唸らせた丹下健三の快刀ぶり
2,丹下門下だった磯崎新が学ぶだけでなく影響も与えいった様子
3,1960年代にモダニズムが行き詰まった時の磯崎新の迷いと脱出
が印象的だった。

バブルの崩壊後、新世代の建築家が世界に
新しい建築を問うてきたことに関する続編が読んでみたい。
焦点は日本なら伊東豊雄か隈研吾とその門下たちがいいと思うけど。

やまねこマッサージ
http://blog.goo.ne.jp/grenc/


フジテレビ本社デザインに何を思う

 バブルの沸騰する直前の85年、出来レースのような、天皇丹下健三に挑む磯崎新。既に天皇の力の衰えは明らかではあったが、年老いた巨人は挑戦者を葬り去ろうと死力を尽くす。消去法的な都のコンペのやり方、都が想定していた超高層でまともにやったら、面白くはないが実績のある丹下の勝ちとなるのは明らかだった。
 そこで挑戦者磯崎はマッシブな低層案をぶつける。勝ち目の薄い戦いに全力を尽くす。事務所の所員も職人も限界まで努力をして作り上げたデザインは、予想通り敗れた。
 この本は1995年にレム・コールハウスと車で首都高を走った際の会話で締めくくられる。「おい、磯崎。あそこに君の都庁が建っているじゃないか」「いやあれは丹下さんの仕事なんだよ」かつての愛弟子が拵えた新都庁案を最も理解していたのは彼であったのかもしれない。と。

 


表紙の柔らかさと内容の刺々しさのギャップがたまらない怪作

表紙も文体も柔らかいのですが、実は磯崎新とその師・丹下健三との骨肉の闘争物語。丹下先生のワルさ全開という感じですが、ルイス・カーンの息子が撮ったドキュメンタリーで、フィリップ・ジョンソンが「ミースは癇癪持ちで、コルビュジエは意地悪だった」みたいなことを言っていたけど、大御所ってのはそうなっちゃうんですかね。個人的に東京で最も酷いなぁと思っていた都庁とフジテレビですが、丹下と磯崎がこの二つの建築でつながっていたことは本当に感慨深い。才能には限界があって、本当に輝くのはほんの数年に過ぎないのに、欲望には限りがない。建築家に限った話しじゃないけど、そのあたりのドラマとしても面白いし、磯崎と丹下を軸にしてみる戦後日本の建築史でもあって、読み応え十分です。


この商品を買った人はこんな商品も買っています:光の教会―安藤忠雄の現場 | 住吉の長屋 安藤忠雄 (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 3) | 建築家は住宅で何を考えているのか (PHP新書 545) | レム・コールハースア・カインド・オブ・アーキテクト [DVD] | コールハースは語る | 
関連商品を探す:『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』


カテゴリ一覧
このページについて?

TOP > Amazon 関連商品検索
PC・家電・CD・DVD  |  2009/11/26