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第一部はホッブズの人間洞察で、その政治哲学原理が示されている ホッブズは、人間を国家(リヴァイアサン)の素材であると認識し、まず人間の洞察から始めています。この第一部はその箇所に該当し、第一章から十二章までは、認識論から始まり、思考、言語、推理・学問、情念、知性、社会関係、宗教、などについての考察がなされていて、この部分もとても面白いのですが、実はホッブズの政治哲学の基本的考え方が十三章から十六章にかけて提示されています。
その考え方は簡単に言うと次のようになります。人間は、自然状態においては、自身の生命を維持するためには何をしても許されるべきである、だが、人間というものは、相互不信に基づく恐怖によって戦争状態に陥り互いに殺し合い滅亡する、それを回避するには、生存を保証するルールを守らせるだけの力を持った共通な権力(国家)を作る以外にはない、というものです。このことを、自然権、自然法という概念を基本に据え、更には権利、義務、契約、約定等々の概念を明確にして、国家やその制度の元となる理論が構築されて行きます。
この考え方の基本となっているホッブズの人間洞察は、性悪説でもなければ、個人より国家を大切に考えるようなものでもなく、ホッブズが一番大切なことだと考えていたことは、人間がよりよく生きることを含めた「生命の維持」であり、そのための一番基本的なルールは「平和を希求すべし」(第一の自然法の基本部分)ということであって、何よりも、そのことを可能にするものは、人間の理性である、という思想に基づいているのだ、と思いました。
やはり読み継がれてきた古典は、ゆっくりと読むとホントに含蓄がありますね。勉強になります。因みに、中公バックス版の方が意訳風で少し読みやすいと感じましたが、岩波版の方が正確な訳なのかもしれません。どちらにしても、あまり判然としない箇所も多々ありましたが、その場合には、昨年10月にラテン語から本邦初訳出版された『市民論』(本田裕志訳、京大出版)と併せて読むととても理解が進みます。
面倒なら第13章から読むべし 『リヴァイアサン』は、おそらく社会科学系の人間とっては必読書中の必読書であり、古典中の古典でもあるが、著者ホッブズの筆致は異様に分析的でユーモアもウィットもなく、じつにつまらない読み物だと言っていい。
しかも、ホッブズの政治思想として教科書などに紹介される内容は第1部の後半から第2部の前半までに集中しているので、とくに興味があるというのでない限り、後半の2冊は読まなくてもいいと個人的には思う。
岩波文庫版では、本文の第1〜第4部が、それぞれ第1〜第4分冊に対応している。
第1部の第12章までは、認識論、意味論、価値論など当時の哲学のおさらいのような内容になっている。いわゆる「ホッブズ的」な政治思想、社会契約説が本格的に登場するのは、第13章に入ってからである。
人は生まれながらにして平等であり、その平等性のゆえに敵対が生まれ、「各人の各人に対する闘争」が自然状態となる。だが人間は「死への恐怖」をも持つのであり、生き残るための知恵が必要だ。そこで人々は、「理性」によって発見された共存のためのルール(自然法)にしたがって、各々の権利をすすんで放棄し、社会契約を結ぶのである、と。
第14章から後はほとんど、「自然法」の細目についての詳論にあてられている。このあたりの論証はけっこういい加減で、まとまりもないのだが、ともかくそれを要約してホッブズは、つまるところ自然法の核心は「あなたが自分自身に対してしてもらいたくないことを、他人に対してしてはならない」ということなのだと言う。じつにわかりやすい政治思想だ(笑)
第3部、第4部における神学についての詳細な議論においても、ホッブズは信仰箇条を「イエスはキリストである」というきわめてシンプルな命題にまとめてしまう。だから、はじめに言ったように面白くはないが、やたら長い割には、要点を抑えてしまえば非常に読みやすい本ではある。
ホッブズの「自然法」思想のポイントは、最も基本的な自然権である「自己保存」の権利を各人が確保するため、つまり「平和」を確立するために、理性的に考えてみれば守ったほうがいいとしか思えないようなルールのことを「自然法」と呼ぶのだという点だろう。ロックにおけるように、神が直接に定めるルールではないのである。
(第2部へつづく)
国家について考えるために国家はなぜ存在するのか、するべきなのか。この問いを深く追究したのが「リヴァイアサン」であり、後の思想に莫大な影響を与え、現在でも国家について考える際の必読書となっています。
第2巻を推薦している人が多いですが、個人的には第1巻、その中でも第13章が最も面白かったので、そこだけでも読むことをおススメします。ホッブズ思想の真髄は、国家はどうあるかよりも、国家はなぜ必要なのかを論じた点にあると思っているからです。各人のもっている力には大した差はなく、そして本性によって人びとは競争・対立するが、それゆえに各人は常に戦争状態に入ってしまう(「自然状態」=「万人の万人に対する闘争」)。この状態を回避するためには、絶対的な権力が統治する以外になく、従って各人にとっては絶対権力である国家に服従することが、自然状態のもつ不利益を回避する道となる、と論じられています。
訳が難解だという指摘が多く、確かにそのとおりだと思いますが、それを理由に本書を読まないのはあまりにも残念だと思います。なお、3巻からは宗教論に入るので、大抵の場合は2巻までで十分でしょう。
メディアとしての古典 ホッブズ的アメリカ対カント的ヨーロッパ、などという荒唐無稽な議論に付き合っている
暇があるのなら、とりあえずまずは『リヴァイアサン』に是非とも目を通していただきたい、
先のしょうもない図式がただの未読もしくは誤読の産物でしかないことが分かるから。
せめて未読であることを祈る、そうでなければあまりに粗末に過ぎるので。
読む人間、読む時代に従って、さまざまな相を見せてくれる――そんな古典の尽きせぬ
底力を思い知らされる圧倒的な一冊。
先のカントやロック、ルソーはもちろんのこと、果てはロールズやらギデンズやら
ネグリやらに至るまで、彼以降現在に至るまでのまともな政治思想・哲学の議論はすべからく
ホッブズの解釈として展開される、との表現もあながち過言ではない。
そればかりではなく、「近代」を定式化したこの一冊は、法・権力・国家……へと
向けられた洞察を豊かに含む。このテキスト自体が市民生活の骨子として今なお息づいている
ことを思えば、それも当然か。
一読の上でカビの生えた遺物と切り捨てる者が存在してしまうことは、なにはともあれ、
やむを得まい、しかし、その奥行きを知らぬままに、この歴史の叡智を素通りしてしまう
ことがあるとすれば、それはただただもったいないと言う他ない。
冗長に過ぎるというならば、13章から31章まで、いや、さらに絞りをかけて13‐15章だけ
でも腰を据えて読まれたし。それはつまり、かの有名な「万人の万人に対する闘争」なる
思考実験の箇所であり、そこからホッブズは鮮やかに自然権、自然法を論じて見せる。
絶えず「今、ここで」最新のメディアであり続けられること、それこそが古典の古典たる
所以、この書において発揮されるホッブズの凄みのひとつはその観察と思考に基づく、簡潔な
までのモデル化にある。その啓蒙は今日においてもなお有効性を保ち続ける。
リヴァイアサン全四冊あるが、一般的にホッブズのリヴァイアサンとえば、第二巻である。まずこれを読んでみれば良い。素直に順番に読んでいくとなかなか厳しい。万人の万人に対する闘争状態。自然状態。高校などで習うことはこの二巻にほぼ網羅されている。もし興味がでて他にも読みたいと思えば、第一巻→第三巻→第四巻の順に読み進めていけば良いだろう。大抵は一巻と二巻でことが足りる。
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